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<「中東」を「Middle East」という英語で表現した場合は、サハラ砂漠以北の北アフリカと西アジアを含む地域を指すことが一般的だが、フランス語の地域名の範囲とは必ずしも一致していない>
地域の内外で紛争・テロが頻発し、イスラエルとパレスチナの対立は深刻な問題となっている。そんな中、シリアのアサド政権崩壊と中東はますます混迷している...。
なぜ中東は、国家・民族・宗教など、様々な要素が絡まり合う複雑な地域となったのか。文庫化されて話題の中東史入門書『日本人のための「中東」近現代史』(角川ソフィア文庫)の第1章「『中東』の歴史を考えるために」より一部抜粋。
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「中東」とは何か?
「中東」(the Middle East)とは一体どこを指すのか? 結論から言えば、「中東」は具体的な特定の場所の地名ではなく、東西という方位、中東・近東・極東といった遠近あるいは距離の概念が組み合わされて、様々な描かれ方があるということになる。
「中東」を「Middle East」という英語で表現した場合は、第二次世界大戦後の現在においては、エジプト、スーダン、アフリカの角(つの)と言われるソマリアを含む地域から、トルコ、イラン、アフガニスタンまでを含めた範囲、つまりサハラ砂漠以北の北アフリカと西アジアを含む地域を指すことが一般的である。
ただ、フランス語の地域名の範囲は英語のそれとは必ずしも一致していない。フランス語では「近東」(le Proche Orient)と「中東」(le Moyen Orient)との組み合わせの使用法が圧倒的である。
「近東」がトルコ、エジプト、シリア、パレスチナ/イスラエルの東地中海岸の国々を指し、「中東」が「近東」よりも東側のイラク、ヨルダン、アラビア半島の国々、そしてイラン・アフガニスタンを指す場合が多い。
これを合わせて「中近東」(le Proche et le Moyen Orient あるいはle Proche-Orient et le Moyen-Orient)と呼ぶ場合もある。また「レヴァント」(le Levant)として、シリア、レバノン、パレスチナ/イスラエルの東地中海岸地域を指すことも一般的である。
現在の英語圏で米ソ冷戦後によく使用されているのは、「中東・北アフリカ」(Middle East & North Africa:略してMENA)という表現で、西アジアと北アフリカまでを含めている。
北アフリカはヨーロッパから見ると南であり、決して東ではないが、にもかかわらず、場合によっては「中東」に含めることもあるのは、北アフリカがアラビア語の話されている地域だからだ。
文明論的な対立としての「東方問題」(本書にて詳述)の文脈である。地理的には南にあろうと、地政学的には「東」という解釈になる。
ヨーロッパよりも西側に位置するモロッコのアラビア語の名称〈マグレブ〉の語源は、「日の没するところ」すなわち「西」である。
しかし、モロッコを含むアラブ世界がヨーロッパ世界から見て「東方」と呼ばれているのも、「東方問題」の文脈によるという、まったく同じ理由からである。ただし、一般的にはモロッコはオスマン帝国領でありながら「東方問題」の対象には入っていない。
具体的に、オスマン帝国を正面に据えて、「近東」(Near East)、「中東」(Middle East)、「中近東」(Near and Middle East)という、用語の中に「東」(East)を含む地域名称を時期にしたがって整理してみよう。
この場合の時期区分の基準は3つの大きな戦争、すなわち、第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして米ソ冷戦の終焉(ソ連の崩壊)である。この3つの戦争によって、特定の国家がその勝敗によって滅びたり、生まれたりして国境線の変更を伴うからである。
臼杵 陽(Akira Usuki)
1956年、大分県生まれ。在ヨルダン日本国大使館専門調査員、佐賀大学助教授、国立民族学博物館教授を経て、日本女子大学教授。博士(地域研究)。著書に『イスラエル』(岩波新書)、『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書)、『日本人にとってエルサレムとは何か』(ミネルヴァ書房)、『「ユダヤ」の世界史』(作品社)、『日本人のための「中東」近現代史』(角川ソフィア文庫)など。
『日本人のための「中東」近現代史』
臼杵 陽[著]
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