戒厳令が宣布されると、国会の入り口を警察が封鎖し、軍の車両も出動した KIM JAE-HWANーSOPA IMAGESーREUTERS

<かつての韓国の独裁者に憧れた男・尹錫悦大統領が訴えた、最終手段としての非常戒厳。暴挙の兆候は何カ月も前から表れていた>

12月3日夜、ソウルはとびきり寒かった。龍山周辺は不気味なほど静かで人通りもまばらだった。韓国大統領府から程近い一角にあるパブでは、スーツ姿のビジネスマンや観光客が夜遅くまで語らっていた。

まさにその時、歩いて5分足らずの場所で尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「恥知らずな親北朝鮮の反国家勢力を根絶する」として非常戒厳(戒厳令)を宣布していたことを知っても、にわかに現実とは思えなかった。


私も含め誰もが会話に夢中で、この重大で荒唐無稽な発表に気付いていなかった。知人から心配するメッセージが届き始め、軍のヘリコプターや装甲車、特殊任務部隊が国会に急行しているというニュース速報が携帯電話に表示された。つい先ほど、パトカーや消防車がサイレンもライトも消して走っていった不思議な光景が、ようやく腑(ふ)に落ちた。

とっさに絶望を感じ、続いて不愉快な思いが湧いてきた。私たちは直視したくなかったけれど、心の奥では尹ならやりかねないと誰もが分かっていたのだ。彼の凝り固まったイデオロギーと性格、そしてここ数カ月の政権の怪しい動きを思えば、兆候はいくつもあった。

尹は、韓国を独裁体制に引きずり込んだ初代大統領、李承晩(イ・スンマン)を尊敬している。国民の反対をよそに李の記念館建設を何度も試みている。

「自由な憲法秩序を維持するために」戒厳令が必要

李は韓国の強力な大統領職の生みの親だ。1952年には戒厳令を宣布し、国会議員を逮捕するなど強硬手段も辞さず、自身の大統領再選を可能にするために憲法を改正した。警察による残虐行為や選挙の不正は日常茶飯事だった。李の政治手法に批判的な者は共産主義者の烙印を押され、拷問を受けた。

尹と李は気質、特権意識、独善性で共通点がある。尹は李の統治の考え方を自らの政権に移植した。政府権限の乱用と拡大は尹の大統領職の特徴だ。警察官の動員と蛮行が急増し、検察は尹の子分と化した。制裁と捜査で報道の自由を締め付け、与党「国民の力」も尹におじけづいた。


その集大成が、憲法が定める要件を満たしていないにもかかわらず、「自由な憲法秩序を維持するために」戒厳令が必要だと主張したことだ。

尹が2022年5月に大統領に就任して最初に行ったのは、風水を頼りに大統領府を青瓦台から龍山の国防省庁舎に移転したことだ。これに伴い国防機能は一時大きく混乱した。

22年10月に梨泰院(イテウォン)で起きた雑踏事故の責任を問われていた元警察庁長官らは無罪判決を受けた。尹の妻は法を超越する存在で、株価操作、収賄、選挙介入、不当な影響力の行使などの疑惑も不起訴とされた。

強気で傲慢で短気な指導者

尹のロールモデルは李承晩だけではない。李の後の2人の独裁者も尹は称賛してきた。一方で、検察官時代には2人の元大統領を含む大物政治家の投獄を指揮した。

尹が強気で、傲慢で、短気で、周囲を従わせないと気が済まないことは周知の事実だ。大統領として妥協や謝罪を強いられると、耐え難いほどのいら立ちがあらわになる。


戒厳令に先立ち、尹のスキャンダルの中でも特に悪質なものについて次々と証拠が発覚していた。それは大統領、大統領夫人、個人的利益のために国政を操る世論操作の専門家を中心とした、与党内の見返りで結び付いた関係だ。李の時代と同じように、尹の無分別な統治を非難する人々は「親北朝鮮」「反国家」分子として退けられた。

「共に民主党」をはじめとする野党は、大統領の側近に対する弾劾訴追を発議し、彼の妻を捜査する特別検察官を任命するための法案を可決するなど、尹を追い詰めた。窮地に立たされ我慢の限界に達した尹にとって、大統領の究極の特権である戒厳令はこれ以上なく魅力的な選択肢だった。医師のストライキによる医療危機を抑え、野党の予算減額案に対抗するというのは、口実にすぎなかった。

戒厳令発令の兆候はいくつかあった。私たちはそれに気付いていたが、それでも戒厳令の可能性はないと考えていた。

戒厳令に関する決定権を持つ3人は同じ高校の出身

数カ月前、特殊作戦司令官、首都防衛司令官、防諜司令官、大統領警護庁トップの金龍顕(キム・ヨンヒョン)が会合を開いたことが明らかになり、ちょっとした騒動になった。李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官も防諜司令部を訪問した。それでも当時は、誰もが首をかしげる程度だった。

しかし、確かに何かが企てられていた。尹はその後、大統領警護庁トップの金を国防相に任命した。戒厳令法では、国防相と内相だけが大統領に戒厳令を提案できる。偶然にも、戒厳令に関する決定権を持つ3人は同じ高校の出身だ。戒厳令発令を受けて捜査機関を指揮・統制する防諜司令官も、同じ高校を出ている。


尹の戒厳令宣布は計画的で、大統領府の主張とは異なり違憲だ。大統領が戒厳令を発動できるのは、戦争や災害といった国家非常事態下、あるいは公共の平和と秩序を維持する緊急の必要性がある場合に限られる。政治的な報復や、家族や側近を法的責任から逃れさせることは、明らかに国家非常事態に該当しない。

尹の戒厳令は短時間に終わったものの、後に大統領になった全斗煥(チョン・ドゥファン)が1980年に全土に出した戒厳令以上のものを目指していた。

尹は死刑になる可能性も

尹の戒厳令を受けて発表された布告令では、「国会、地方議会、政党の活動、政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動」が禁止された。韓国の法律は、大統領の戒厳令を議会が多数決によって解除する権利を認めている。これは戦時下においても侵害されない。そのため戒厳司令官は、撤回要求を行う権利を有する国会を麻痺させることはできない。しかし、今回の布告はその全てを踏みにじった。

布告令の発表後、警察は国会の正面入り口前にバリケードを築き、議員の投票を妨害した。武装兵は市民と衝突し、国会に突入。特殊任務部隊は、政党の党首や議長を逮捕しようとした。幸い、多くの議員が武装兵を避けてフェンスを乗り越え、国会内に入って投票を行った。そうしていなければ、違法な戒厳令は継続していただろう。


尹は言葉でも行動でも、憲法上の正当な手続きを覆そうとした。これは軍事クーデター未遂だ。尹には死刑が科される可能性もある。

当初は国中が悲嘆に暮れていたが、今や国民は街頭で、議員たちは議会で監視の目を光らせている。予測不可能な大統領が存在する限り、安穏としているわけにはいかない。

尹は「人類普遍の価値」や、「グローバル中枢国家」たる韓国の地位を称賛していた。尹が心からそれらを大切にしているのなら、ジミー・カーター元米大統領の言葉を彼に贈りたい。「他国の自由を促進する最善の方法は、わが国の民主主義制度が模範に値するものだと実証することだ」

From thediplomat.com

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