日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に10日、ノーベル平和賞が授与されました。ノルウェー・オスロに渡航している一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」スタッフの浅野英男さん(28)は授賞式をどのように見たのでしょうか。2回目の報告をお届けします。
「ここが出発点だと思った」
現地時間の10日午後1時にオスロ市庁舎で始まった授賞式。原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーに参加した被爆者たちは、オスロ図書館でのパブリックビューイング(PV)で様子を見守りました。
日本被団協代表委員の田中熙巳さん(92)が車いすで、続いて田中重光さん(84)、箕牧智之さん(82)が入場する様子を見て、感極まって涙しそうになりました。実際に、目に涙を浮かべている被爆者もいました。
会場の人たちは田中熙巳さんの演説を深くうなずきながら真剣に聞いていました。
演説が終わると、PVを一緒に見ていた現地のみなさんも一緒に総立ちになり、大きな拍手がわき起こりました。
印象的だったのは、ある被爆2世の方が言った「田中さんのスピーチを聞いて、ここが出発点だと思った」という言葉です。
私自身も、演説は決意表明だと感じました。被爆者が達成しようとする核兵器廃絶と被爆者への国家補償はまだ道半ばです。
受賞を喜ぶと同時に、その思いを受け継いで実現するために行動しなければと強く感じ、勇気づけられました。
横断幕に書き込んだメッセージ
夜は恒例のたいまつ行列に参加しました。たいまつを手に「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ウォー」などと言いながらオスロの街中を練り歩きました。
終着点のグランドホテルは、代表委員を含む日本被団協の代表団の晩さん会の会場。私たちがホテル前に到着すると、バルコニーに田中熙巳さんたち代表委員3人が立ち、横断幕を持っている様子が目に入りました。
実はこの横断幕には、事前に依頼があり、私たちツアー参加者も含めた多くの人たちがメッセージを書き込んでいます。
ノーベル平和賞はみんなで取った。そんな気持ちが込められているように感じました。私は「核兵器のない未来を必ず」と書きました。
たいまつ行列は地元市民の姿も多く見られ、とても一体感のあるイベントでした。【聞き手・椋田佳代】
あさの・ひでお
1996年、茨城県生まれ。神戸大大学院修了後、米ミドルベリー国際大学院モントレー校で核政策などを学ぶ。日本原水爆被害者団体協議会などでつくる「核兵器廃絶日本NGO連絡会」のインターンとして、2022、23年の核兵器禁止条約の締約国会議に派遣された。24年4月から一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」専従スタッフ。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。