ホームレスたちは人々の「無関心」にさらされている

<ホームレスに関するルポを発表している在日中国人ジャーナリストの趙海成氏は、あることに気が付いた。もちろん善良で思いやりのある人もいるが、一般的な日本人はホームレスを軽蔑するか、無関心なようだ>

視線とペン先を日本のホームレスに向け始めてから、私はあることに気が付いた。周りの日本人の友人と中国人の友人が、私のこの「行動」に全く異なる反応をしていることだ。

中国の友人たちの評価はほとんどが賞賛と励ましだ。例えば――

「いいですね! ほかにも特別な人の物語を続けてやってほしい」
「このテーマは日本社会の生存環境を明らかにするもので、斬新だ!」
「私の知らない日本社会を見せてくれた」
「この分野を開拓した中国人作家として、あなたは第一人者だ」
「あなたが記録しているのは他人から無視された人々。これほど発達して文明的な社会にこんな人たちがいるなんて。アメリカの映画『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督)に似ていると思う」
「中国人がこんなに日本をよく観察できるなんて、とても素晴らしいと思う」

一方、このルポの中国語版を発表している私の微信(WeChat)には日本人もいるが(人数はそれほど多くない)、彼らはほとんど反応していない。私がどうしてホームレスに興味を持ち始めたのか理解していないに違いないし、不思議に思っていることだろう。

これは何を意味するか。ひと言で言えば、大多数の日本人はホームレスを軽蔑しているか、あるいは無関心なのだろう。

その理由について、ある日本人の友人に尋ねた。

「日本ではホームレスを相手にしたい人はあまりいないし、彼らのことを本や記事にする人も少ない。一般的な日本人は、彼らがホームレスになったのは自己責任だと考えていて、国の補助金で生活している人を軽蔑する態度を取っている」と、友人は教えてくれた(実際には、ホームレスの多くは生活保護を受けず、働いて自分を養っている)。

この友人はさらに分析した。

「現代社会に生きる多くの人はストレスを感じている。耐えられないと感じたとき、極端な人は自殺を選んでしまうが、代わりに、ホームレスになることを選ぶ人もいる。ホームレスになることで、その人は気持ちが楽になるかもしれない。しかし、それはあくまでも彼ら自身の話であり、傍観者である人々の普遍的な態度は『無関心』だ」

日本人は他人のことを詮索しないが、その態度には弊害も

他人に迷惑をかけないように生活し、他人のことをあれこれ詮索しないのも、日本人の性格の1つの特徴だと思う。

しかし、私はやはり、そうした態度に懸念を抱いてしまう。

無関心な態度とホームレスを軽蔑する風潮は、暗黙のうちに子供たちに伝染する。そこから変異し、極端な行為を引き起こす可能性もある。日本各地で頻発してきた少年たちによるホームレス襲撃事件は、社会に警鐘を鳴らしているのだ。事件の若い加害者たちは、驚くほど残虐で凶悪である。

大人でも、ホームレスを極端に憎む人たちがいる。彼らはホームレスが外出しているとき、空っぽのテントに潜り込み、物や小銭を盗み、テントを滅茶苦茶にする。テントの中に人がいても気にせず、テント周辺に火をつける者までいる。

人数は多くないが、加えられる危害は大きい。被害者のホームレスとしては、どうしようもない。物が盗まれても、テントが破壊されても、放火されても、ホームレスは警察に通報しないことが多い。

なぜなら、自分たちがそこにテントを建てて住んでいること自体が違法だと知っているからだ。他人に不法侵入されたと訴えたところで、警察がホームレスのために捜査をしてくれると思えるだろうか。

警察の庇護を期待しない以上、ホームレスたちはなんとかして自分で自分を守らなければならないのだ。

一部のホームレスは、「抱団取暖」(寒いときに抱き合って体を暖め合うように、相互協力することを意味する中国語)のように、小さな集落を作り、協力して盗難を防いでいる。あるいは、2人のホームレスが大きなテントに同居し、泥棒にチャンスを与えないように、互いに外出時間をずらし合う。

また、男女のホームレスが同居生活をして、男は外に出てアルミ缶を拾ってお金を稼ぎ、女は留守番をして家事をするというケースもある。一人暮らしのホームレスでも、外出するときは、テントの中にある小さなラジオを付けっぱなしにし、音を出し続けるのが泥棒対策のコツになる。

荒川大橋の下にいるこのホームレスのおじさんは、毎日ハトに餌をあげている

ホームレスを支援する善良な人たちもいる

どんな国どんな社会にも、冷血非情な人もいれば、善良で思いやりのある人もいる。

上野、新宿などの公園や、教会の近くでは、ホームレスや生活困窮者向けに炊き出しを毎週行っているキリスト教系の慈善団体がある。長年活動していて、途切れることはない。活動の資金は寄付から賄われていると聞く。

決まった場所で炊き出しをするほか、毎月2回、人を派遣して、弁当をホームレス一人一人に直接届けている団体もあるという。荒川一帯のホームレスに弁当を届けているのは、あるボランティアの中年女性だ。彼女は長い年月、苦労をいとわず自転車に乗って、川沿いの砂利の小道を走り回ってきた。大学の先生や学生も、このような慈善活動に参加している。

ホームレスの桂さん(仮名)の話によると、埼玉県の蕨(わらび)市に住む40代の女性が、中学生の娘を連れて自家用車でやって来て、桂さんや斉藤さん(仮名)にさまざまな物を届けてくれた。食べ物のほか、布団や風邪薬などもあった。

彼女は帰るたびに、「何か必要なものがあれば教えてください。今度来るときに持ってきますから」と言ってくれたという。この思いやりのある女性は、ある大学病院で看護師をしていて、家では一人の老人の面倒を見ている。

斉藤さんにも、アルミ缶を拾っているときに出会った優しい管理人がいた。斉藤さんは朝5時から空き缶を集めに出かけることが多い。その管理人は、老人である斉藤さんが缶を売って生計を立てるのは大変だと思ったのか、そこに集められたアルミ缶を大きな袋に入れ、斉藤さんが来たら自転車に載せてくれたという。斉藤さんによると、このように力を貸してくれた管理人は一人や二人ではないらしい。

ホームレスを助けるこのような善良な人たちを賞賛すべきだ。この人たちがいるからこそ、日本社会には温かさと愛があると思う。

上野公園にはなんとテントの屋根にソーラーパネルを取り付けているホームレスもいる

「娘さんたちと連絡を取っていますか?」と聞いた

桜の季節、ホームレスの写真を撮るために上野公園に行ってきた。そこにはホームレスが多いはずだし、ついでに花見もできるだろうと考えた。

その日はちょうど上野公園では桜が満開だったが、意外にも公園に着いてからしばらく歩いても、数人しかホームレスに会わなかった。彼らは比較的目立たない場所にいる。桜が満開になり、観光客が一杯になる日だから、人々の視線を避けたいのだろう。現代社会において、ホームレスは差別される部類に属している。

私はこの時、以前、桂さんと交わした会話を思い出していた。彼が私に、2人の娘の話をしたときのことだ。桂さんの娘たちは、2人とも結婚して子供を産んでおり、それぞれ自分の家庭を築いているという。

私は聞いた。

「娘さんたちと今も連絡を取っていますか?」

「過去には取っていたが、その後は途絶えて、もう10年も音信不通になっています」

「じゃあ彼女たちは、自分のお父さんの今の状況を知っているんですか?」

彼にそう聞くのは残酷なことだと知っていたが、敢えて聞いてみた。

「彼女たちが知っているかどうかは分かりませんが、少しは見当がついているだろうと思います」

そこまで言うと、桂さんは黙った。私も何も言えなかった。

桜が満開になった上野公園。ホームレスの姿はほとんど見当たらない

桂さんの娘は、近所の人に自分の父親がホームレスであることを知られたくないに違いない。父親である桂さん自身も、自分の身分のために娘が他人に軽蔑されることを決して望んでいない。

だからこそ、彼らは互いに連絡を取り合うのを避け、それぞれの生活をただ静かに過ごしたいと望むのだ。このような親子関係はホームレスの中には少なくないと思う。これもホームレスの宿命の1つだろう。

また、別の機会に桂さんは、毎年高校の同窓会に参加しているのだと教えてくれた。連絡をくれる同級生がいるのだろう。それを聞いて、私はすぐに尋ねた。

「昔の同級生たちはあなたが今何をしているか知っていますか?」

こんなことを聞くのは本当に道理をわきまえないだろうし、この前、家族の話で桂さんに傷を付けたばかりだ。今度はその傷口に塩を振りかけることになった。根掘り葉掘り聞くのは悪いとは思ったが、ジャーナリストの癖として仕方がない。

「同級生にそんなことを言えるもんか」桂さんは私をにらんでそう答えた。

中国では、同窓会が開かれると、今の生活状況よりも昔の話が話題の中心になるのが普通だ。日本もきっと同じだろう。

みんな同じ校門から出て行ったが、その後の道は千差万別だ。数十年経って再会したとき、「功名成就」つまり輝かしい出世を果たした者もいれば、そうではなく、平々凡々で成すところがなかった人もいる。

そこで適切な今の話題といえば、財産の多さではなく、体調や運動や趣味になると思う。ある意味でこれは、桂さんの優位性を際立たせられる話題かもしれない。同級生の中で、財産から見れば彼が最も貧しいのだろうが、こと健康や自由については、彼にかなう人はなかなかいないだろう。


※ルポ第13話(11月27日公開予定)に続く


[筆者]
趙海成(チャオ・ハイチェン)
1982年に北京対外貿易学院(現在の対外経済貿易大学)日本語学科を卒業。1985年に来日し、日本大学芸術学部でテレビ理論を専攻。1988年には日本初の在日中国人向け中国語新聞「留学生新聞」の創刊に携わり、初代編集長を10年間務めた。現在はフリーのライター/カメラマンとして活躍している。著書に『在日中国人33人の それでも私たちが日本を好きな理由』(CCCメディアハウス)、『私たちはこうしてゼロから挑戦した──在日中国人14人の成功物語』(アルファベータブックス)などがある。

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