「今日洗濯お願いしてもいいかな」。結婚当初、夫に洗濯をお願いした。その日は夫が休日だったので、きっと洗濯機を回し、洗濯物をベランダに干し、あわよくば洗濯物を取り込み畳んでくれているだろうと期待した。ところが帰宅すると、洗濯機のボタンを押した状態のままゲームをしている夫が目の前にいた。

 なぜそうなってしまったのか。すぐには理解できず夫に確認をすると「だって、洗濯してって言われたから洗濯機のボタンを押したんだよ」と言われて全てを悟った。夫は洗濯=洗濯機のボタンを押すことであり、私は洗濯=洗濯の全ての工程を完了させることであるため、このようなミスコミュニケーションが生じてしまったのだ。

 コミュニケーションはズレるものである。人は性格、思考、価値観、育ってきた環境、役割、得手不得手などによって自分にとっての「正義」「当たり前」を形成する。ただ、ときに私たちは「相手と自分は違う」と頭で分かっていてもその当たり前をすり合わせせず、ミスコミュニケーションを起こしてしまう。自分が想定している反応と異なる態度や行動が返ってくるとストレスに感じてしまうこともある。

 ある職場で、先輩社員が新入社員に対して会社の説明をしていると、新人が携帯を触り始め、先輩がいらつく場面があった。「誰かが話していたら相手の目を見て話を聞くことが普通だ」という先輩の主張は全くだが、新入社員に尋ねると「先輩の話を後で振り返れるように携帯でメモを取っていた」という。スマホネーティブ世代で育った新人からすると携帯でメモをとることはまさに「当たり前」なのだ。

 この一件で、先輩社員と新入社員はお互いの認識をすり合わせた。抽象的な表現は具体化し、スマホのメモ利用については、相手の承諾を得ればOKとした。

 コミュニケーションはズレるものと念頭に置きながら「当たり前」を共有し、すり合わせることが、家庭や職場においてますます重要になるのではないだろうか。(ワダチラボ社長)

次回は照屋ゆきの氏(照屋食品社長)です。

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