(ブルームバーグ):日本銀行の植田和男総裁が進める政策正常化の道筋は、直近の市場混乱で大きく揺らいだ。そして先行きには幾つものリスクが待ち受けている。
2023年4月に総裁に就任した植田氏は、脱出がほぼ不可能なように見られた複雑な金融政策の枠組みを引き継いだ。非伝統的な金融政策を10年余り続けてきた日銀は、発行済み日本国債の5割超を保有している。今年3月に世界の中央銀行で最後となったマイナス金利政策を解除した後、植田総裁は正常化の道のりを順調に歩んでいるようだった。
日銀が追加利上げを決定した7月31日から数日後、市場は大荒れとなった。さらなる利上げを日銀が示唆したことで世界の市場に動揺が走ったと多くのトレーダーが声を上げる中、内田真一副総裁は市場が不安定な状況で利上げは行わないと踏み込んだ。
日銀出身で楽天証券経済研究所の愛宕伸康チーフエコノミストによれば、市場混乱に対する日銀の対応が、日銀の課題をさらに難しくさせてしまった可能性がある。政策の判断材料として内田副総裁が市場環境に言及したことにより、これまでのデータに基づく日銀のコミュニケーション手法から逸脱してしまったという。
愛宕氏は、「金融政策の言語はスピーチではなく、まずはデータということ。それを日銀ははき違えていると思う」と語った。
内田氏の発言は、日銀の政策の優先順位を曖昧にしてしまう結果を招いた。
余計なノイズ
世界的な株価暴落の主因は「あくまでも米国のハードランディング懸念だが、日銀が余計なノイズを与えてしまった」。日銀出身でUBS証券の足立正道チーフエコノミストは、日銀の市場との対話は「不合格」と評価。「政策決定そのものもそうだが、コミュニケーションも問題はあった」と指摘する。
コミュニケーションに課題を抱えているのは日銀だけではない。長年にわたり世界各国の当局者は金融市場の反応に苦慮してきた。
2018年12月、当時のパウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長は米中銀の債券ポートフォリオ縮小は「オートパイロット(自動操縦)」の状態にあると発言。米国株が4営業日連続で下落するきっかけとなった。翌月、FRBは追加利上げを断念し、保有債券の縮小に柔軟に対応することを示唆した。
バーナンキ元FRB議長は13年5月、「今後数回の会合」で量的緩和(QE)のテーパリング(段階的縮小)を開始する可能性に議会で言及し、世界の金融市場の大幅な下落を引き起こした。後に「テーパータントラム」(市場のかんしゃく)として語り継がれている。
出来栄え「減点」
サマーズ元米財務長官は、特に新任のセントラルバンカーは初めて運転席に座るドライバーのように「ハンドルを切り過ぎる」傾向があると指摘。日銀の場合、「あれほど長期にわたってゼロ金利政策を続けた後だから、もっと緩やかに政策をシフトできたのではないだろうか」と語った。
内田副総裁の7日の発言については、「日銀は市場に対応している姿勢をあそこまできっぱりと見せる必要はなかった」との見方を示した。その上で、「オリンピックの言葉を借りれば、私なら日銀から『出来栄え点』を少し減点するだろう」とサマーズ氏は述べた。
ある意味、長期にわたって安定していた日銀の政策に対する投資家の慣れが、利上げの際に市場が動揺する可能性を必然的に高めていた。
植田総裁が日銀審議委員当時に秘書を務めていた野村総合研究所の井上哲也シニアチーフリサーチャーは、本格的な利上げは二十数年ぶりのため、コミュニケーションの面で「なかなか難しいところは当然あった」と語った。
市場の混乱
黒田東彦前総裁の下で審議委員を務め、大規模金融緩和に一貫して異を唱えた野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは、市場の混乱について、「むしろもっと早く正常化していれば、こんなことにはならなかった」と指摘。利上げが遅れたから、「円安・株高が行き過ぎたのではないか」との見立てだ。
「異次元緩和が長く続いたため、いろいろな金融市場のポジションがたまっている」とし、「行き過ぎが大きければ大きいほど、暴力的に調整は起こりやすい」と語った。
市場はまだ落ち着きを取り戻していない。日経平均株価のインプライドボラティリティー(IV)は最近の高値からは低下したものの、年初から市場混乱が起こる前の7月31日までの1日平均を2倍程度上回る水準になおとどまっている。円相場の予想変動率を示すオプション市場の指標の一つは9日、過去10年間の平均値を約60%上回る水準で推移しており、日本資産の見通しに対し投資家が抱く不透明感は依然として高い。
元日銀理事(金融政策担当)の門間一夫みずほリサーチ&テクノロジーズ・エグゼクティブエコノミストは、市場が落ち着くのを日銀は見極める必要があると指摘。正常化が失敗するリスクは現時点で「まだ分からない」と述べる一方、正常化には「思ったより」時間がかかる可能性があるとの見方を示した。
7月会合に向けて日銀は異例の政治的圧力にさらされた。閣僚と自民党幹部の2人は日銀の金融政策と円安について言及し、円高につながり得る利上げの必要性などを指摘していた。
野党第1党の立憲民主党は日銀の利上げ決定を批判し、植田総裁に近く国会で説明するよう求めている。
立民の安住淳衆院国会対策委員長は6日記者団に対し、日銀の利上げが金融政策の転換点になり、「株価や為替への影響につながってることは間違いない」との認識を示した。その上で、日銀がこの先どうしていくのか、世界情勢を含めて日本経済や取り巻く環境について政府がどういう考えなのか、「国会で審議することが有意義だ」と語った。
与野党は13日に閉会中審査の日程を決める。鈴木俊一財務相にも出席を求める見通し。
元財務官の山崎達雄国際医療福祉大学特任教授は、世界的に株価や為替相場が急変動した直接の原因が「日銀にあるかのようにされているという意味では、植田総裁は非常に気の毒だ」と語った。総裁に対してネガティブな声も聞かれるが、関心が高かった「行き過ぎた円安の是正はできている」と述べた。
もう一つのリスクは、秋に予定されている自民党総裁選だ。誰がトップに就くのかによって、日銀は想定外の方向へ新たな圧力に直面する可能性がある。
愛宕氏は、結局のところ日銀は、政策のコミュニケーションにおいてデータに忠実でなくてはならないと指摘する。
米国経済を巡る懸念がくすぶる中で金融政策のかじ取りをし続ける必要があることを踏まえると、日銀はコミュニケーションの面で難しい局面に立たされており、「細心の注意を払わなければならない」と述べた。
原題:BOJ’s Policy Path Fraught With Risks After Global Market Turmoil(抜粋)
--取材協力:萩原ゆき、西沢加奈、David Finnerty、氏兼敬子.
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