日銀の植田総裁(左)と鈴木俊一財務相

「円高シンドローム」という言葉がある。円と米国ドルの為替レートが、過剰なほどの円高ドル安として30年近く続いたことを指す言葉だ。シンドロームは「症候群」を意味する、つまりは異常事態が長期間続いたわけだ。

この過剰な円高ドル安の出発点は、1985年9月のプラザ合意である。当時の米レーガン政権が、日本などにドル安誘導の協調介入を政治的に強要した出来事だ。レーガン政権の狙いは、累積する貿易赤字を解消する狙いがあった。円高になれば貿易赤字の最大原因だった日本には不利になり、米国には有利になると思い込んだのだろう。

これは経済学の観点からは誤りだ。貿易黒字や赤字は景気には無関係である。また円高にしても米国の貿易赤字問題はまったく解消されなかった。当時は冷戦下であり、日本の政治は対米従属が色濃かった。その後もブッシュ(父)政権、クリントン政権の時代まで円高圧力は政治的に強かった。為替レート案件は財務省が管轄するが、実際には日銀が金融政策を利用することで実行していた。

本来ならば一国の金融政策は国内の景気をみて運用される。だが日銀も財務省もそして政治家も米国のご機嫌を取ることを日本国民より優先したのだ。その結果、国内の物価や株価など経済状況は不安定化した。バブルが発生し、やがて大きく崩壊した。まもなく日本は長期停滞に突入する。

しかも日本の政策当局が情けないのは、米国からの政治的圧力がなくなってからも、円高誘導を意識して金融政策を続けたことだ。米国の貿易赤字の対象は日本からとっくに中国に移行していたが、まるで親に叱られるのを恐れるように、日銀は円高ドル安になるように金融政策を運用した。その結果、日本の輸出産業を苦しめ、深刻なデフレを伴う「失われた20年」となった。これが解消したのは、アベノミクスによる大胆な金融緩和の導入だった。そこからは国内景気を意識した金融政策に変化した。

現在の植田和男総裁体制の日銀は、アベノミクスを切り捨てた。そして緊縮財政をめざす財務省と協調して、今度は円安を防止しようと金融引き締めへの転換を狙っている。つまり利上げを早期に進めることで国内景気を冷やして、物価の上昇や円高に誘導しようというのだろう。

現状の賃上げが可能なのは、円安などで企業業績が改善しているからだ。利上げで過度な円高になると賃上げは難しくなる。また物価高対策は政府が給付金や減税で対処すればいい。だが、財務省はこれ以上の財政支援をしたくないのだろう。「子育て支援金」などの負担増も財務省の仕掛けだ。植田日銀と財務省がいよいよ日本を壊しに動くかもしれない。 (上武大学教授 田中秀臣)

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