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<レイチェル・カールソンの名著『センス・オブ・ワンダー』が今の時代に問いかけるものとは? 新訳に臨んだ独立研究者・森田真生さんに聞く>

時代に先駆けて世界の目を環境問題に向けさせた『沈黙の春』。その著者であるレイチェル・カーソンが遺した未完の作品が『センス・オブ・ワンダー』です。

独立研究者である森田真生さんは、この新訳とともに、「その続き」としてご自身の京都での自然の日々を綴りました。本書のページを開くと、約70年前のカーソンの肉声が聞こえてくるような新訳と、森田さんと息子さんたちが織りなす新たな世界観が広がります。森田さんはどんな思いで『センス・オブ・ワンダー』の訳に臨んだのでしょうか?
(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です)


『センス・オブ・ワンダー』の翻訳を行った森田真生さん(flier提供)

レイチェル・カーソンの「文章の続き」が自然と生まれた

──森田さんは『センス・オブ・ワンダー』の新訳とともに、「その続き」という形でレイチェルのテキストを書き継いでいます。森田さんと息子さんたちの京都での日々は心温まるものでした。翻訳と執筆のきっかけは何でしたか。

筑摩書房の編集者の方から翻訳の依頼をいただいたのは約3年半前。当時は『センス・オブ・ワンダー』を読んだことはありませんでした。ただ、ちょうどその頃は、拙著『僕たちはどう生きるか』のように、人間と人間以外のものとの生態学的な関係について考えるエッセイを書き始めた頃でした。人間と環境との関係を考えていく際に、レイチェル・カーソンは避けて通れない人物だと思っていました。

ただ、自然と人間の関係について、科学的な視点に根ざして書かれた文学という意味では、日本語で書かれた作品の豊かな系譜もあります。今回の本の「つづき」では実際、寺田寅彦や中谷宇吉郎、河合隼雄らの作品も参照しています。

そんな中で、カーソンのテキストが、なぜこれほどまで多くの人に愛され、長く読み継がれてきたのか。彼女が遺したテキストは僕たちの思考にどのような影響を与えているのか。一度ちゃんと考えてみたいという思いがありました。

「翻訳する」ことは、そのテキストを「よく読む」こと。カーソンの短いテキストを何年もかけてよく読むということは、僕にとって重要な挑戦になるだろうと。同時にもちろん、未完の作品を70年の時を超えて訳すのなら、何かしら新しいものをもたらすことができなければ自分が訳者になる意味はないとも思っていました。

センス・オブ・ワンダー
 著者:レイチェル・カーソン、森田真生
 翻訳:森田真生
 出版社:筑摩書房
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──翻訳を経て、『センス・オブ・ワンダー』との向き合い方に変化はありましたか。

当初、カーソンの自然観について懐疑的な気持ちが少なからずありました。ところが、彼女のテキストをくり返し読むうちに、日常生活でも影響を受けていきました。身近な例だと、カーソンとその大甥のように、僕も4歳の長男と一緒に双眼鏡で月を見るというように。


すると『センス・オブ・ワンダー』で記述されていてもおかしくないような出来事が、日常生活で起こってくるんですね。やがて僕の中で彼女の文章の続きのようなものが自然と生まれはじめていった。この続きを14か月にわたり「ちくま」で連載できたのは、本当に楽しい経験でした。

連載後にカーソンのテキストに戻ると、印象がまったく変わっていた。批判的に読もうとした、自分の「外側」にあったテキストが、まるで自分の記憶のように感じられることがあった。「内側」から出てくる言葉を訳していくような感覚に変化してからが、本当の意味での翻訳でした。この翻訳と書き継いだ文章全体を一冊にしたのが本書です。「翻訳とそのつづき」というこの形式自体が、世の中にあまりない新しい試みになっていると思います。

──『センス・オブ・ワンダー』で懐疑的に思っていた自然観とはどんなものだったのでしょう?

自然の美しさの特定の面が強調されていて、あまりに「清潔」な自然観だと受け止めていました。鳥の鳴く声を聞き、夜空を見上げる場面はあっても、「食う・食われる」の関係や、死者の話は出てこない。僕は、生み出す力と同じくらい、滅ぼす力も自然の偉大な力だと思っています。生と死、美しさと怖さ、そうしたすべてを包摂した自然観を大切にしながら、このテキストを書き継いでみようとしました。実際にこれを試みて感じたことは、カーソンのテキストが、多様な自然観によって書き継がれていく可能性に開かれていることです。『センス・オブ・ワンダー』はそういう意味で、とても懐の深いテキストだと思います。

──カーソンに対してはどのように捉えていますか。

カーソンは幼い頃から本を読むこと、文章を書くことが大好きでした。大学では英文学科に進みましたが、大学で出会った生物の先生から学んだ進化論が特に、カーソンの文学的創造力を刺激したようです。1930年代当時に進化論を学べる機会は稀でした。

彼女は書くために生物学に転向したという面があったと思います。彼女はこの頃、自分で物語をつくる想像力に自信がないと周囲に打ち明けています。ところが生物の世界には壮大な物語がある。みずから物語を創作しなくても、生物の織りなす進化の歴史そのものが壮大な物語です。そこに彼女が心から書きたいと思える主題があった。

自然の声を、言葉に置き換えていくときには、何より科学的な正確さが大切になります。想像で事実を補うよりも、自然が実際に行っていることを嘘偽りなく書くほうが、スリリングな物語になる。


土壌学者の友人に教えてもらったのですが、コーヒースプーン2杯分の土には、人間の大脳を司る神経細胞の数に匹敵するほどたくさんの細菌がいるそうです。わずかな土ですらとてつもない複雑さを内包している。だから、自然を精緻に描写することができれば、人間の頭で考えた物語より、ずっと面白いものになる可能性がある。だからこそカーソンはいつも、科学的な正確さと、言葉の詩的な美しさとを、高いレベルで両立させようとしていました。

人間は「共感」によって新たな秩序をつくる生き物

──本書の結で、「より多くの共感はより深い苦しみを意味する」「悲しみに根ざしたまま、さらに深く共感を育んでいく」といった言葉が胸に響きました。この共感する力、感性について森田さんのお考えをお聞かせください。

少し脱線するかもしれないですが、まず、「伝わる」ことと「伝える」ことの違いについて、少しお話しさせてください。

絵本作家M.B.ゴフスタインの作品に、『ピアノ調律師』という素晴らしい絵本があります。ピアノ調律師のおじいさんが、息子夫婦が亡くなってしまったために、幼い孫娘を引き取ることになる。おじいさんは、自分の仕事に誇りを持っているのですが、孫娘には「もう少し良い仕事」に就いてもらいたいと思っている。調律師よりもピアニストになる方が、孫娘はいい暮らしができるはずだと信じている。だから、孫娘にピアノを教えること、いつか彼女がピアニストになれるように導くことが、自分が彼女にできる最大の貢献だと思っている。

ところが、孫娘はピアノ調律師になりたい。なぜなら、おじいさんが調律師の仕事に誇りをもっていること、それが素晴らしい仕事であることが、おじいさんの日々の細部から孫娘にしっかり「伝わって」しまっているからです。愛する孫娘におじいさんが「伝えよう」としていることの外で、すでに「伝わって」しまっていることがある。

「伝える」はとても難しいもので、子育てにおいても、伝えたいことは子どもになかなか伝わらない。一方で、魔法のように「伝わってしまう」ものもある。たとえば、木が花を咲かせると虫がやってくる。まったく違う種同士なのに、何かが「伝わっている」というのは魔法のようです。

真剣に発せられた生命のメッセージには、共感なんてレベルをはるかに超えて「伝わる」力がある。植物と昆虫とのあいだですら、なにかが伝わり合ってしまうのは、とても不思議です。


一方で、「共感」というのはとても人間的な力だと思います。たとえば、椿の花が咲いたことに、土のなかのミミズが共感したりなんてしない。それでも椿やミミズや苔やイモムシが、同じ庭や自然の一角で共存することができる。共感がなくても共存できるというのが自然の素晴らしいところです。

花や植物が人間をなぐさめてくれるのは「無関心だからだ」とヴァージニア・ウルフが書いています。僕たちが山や庭を歩いていて心安らぐのは、まわりが自分に無関心でいてくれるからです。散歩中にマツの木や小鳥から「大変だったね」と共感されたら、つらいじゃないですか(笑)。

──「放っておいてよ」と思ってしまいます(笑)。

そんな中、人間は共感という不思議な力をもっています。たとえば、人間は、元気のなさそうの山の木のことを心配して、水の流れを整えるために、木の根元に水が浸透しやすくなるように石を据えてやるといった働きかけや手入れをします。

自然のまま放っていたら、石が低いところから高いところに移動することはあり得ない。自然の秩序に抗ってでも、木が少しでも生きやすくなる環境を生み出そうとさせるのは人間の「共感」の力です。人間は、他者への共感に基づいた行為によって、世界に新たな秩序をつくっていくことができる生き物なんです。

共感なんてせずとも生命はたがいに共存し、進化してきた。共感はとても新しい力です。新しい力には危うい面もあって、共感の力があまりにも強いと、心に大きな負荷がかかります。

──深い共感が生きづらさにもつながるのはそのためだったのですね。

一方で共感の力によって、重い石が運ばれ、水の流れを変えて、それが山の木を元気にするというのはすごいことですよね。ある存在がいなければ生まれなかったはずの秩序がつくられるというのは、それ自体が驚くべきことです。

──共感は自然の中では「不思議なこと」だけれども、本来ならあり得なかった秩序を創造する能力でもあるのですね。

共感はとても新しい力なので、共感に疲れてしまったときは、もう少し古くから続いてきた活動に立ち返ってみるのもいいと思います。例えば「呼吸」は生物が大昔からやってきたことです。自分が少し弱っているときには、呼吸にただ集中してみると、基本的な生命の安らぎを思い出すことができるかもしれません。西田幾多郎も、人生のさまざまな苦難を経験しながら、じっと座って自分の呼吸に関心を集めて、「呼吸するも一つの快楽なり」ということを言っています。


共感はとても新しい試みなので、諸刃の剣です。だからこそ開ける新しい世界もあります。自分の体調や状況次第で、共感は、用法と用量を守りながら、がいいと思います。

悩んだら、「いろんな生き物の意見」を聞けばいい

──悩むのは新しいことに挑戦している証拠だと聞くと、救われる面もあります。とはいえ、深い悩みを抱えたときには、どうするとよいのでしょうか。

どんなことでも「広く意見を募る」ほうが視野は広がりますよね。ある種の集合知によって、より多様な意見に耳を傾けたほうが、より賢明な選択ができる。その意味で、なにごとも人間の声だけを聞くのはリスクが大きいと思いますね。

人間は、地上を二本足で立って歩いている、とても特殊な生き物です。この時点で他の動物と比べても、すごく変な世界を見ているわけです。人間の意見だけを聞いていたら、偏るのは当然です。

自分が本当は何をしたいのかを知りたいときは、自分の体の声を聞くよりも、自分の体以外の声がたくさん聞こえる場所に行ってみることがおすすめです。川が流れていたり、鳥が鳴いていたりする場所に。

たとえば「いまの仕事、辞めたほうがいいのかな」と悩んでいるときに、自分の体の声だけ聞こうとしても、出口は見えにくい。むしろ、いろんな生き物の意見が飛び交う中に身を置いてみるくらいのほうがいい。そうするとそもそも、「仕事を辞めたほうがいいのか」という問いの立て方自体が間違っていた、なんて気づけることもあるかもしれない。

探究とは、「掴めないものがある」ことを示すこと

──最後に、これから森田さんが探究を深めたいテーマは何ですか。

無限の概念は面白いもので、「無限」そのものを掴むことはできなくて、むしろ「無限を掴めていない」という仕方でしか無限は表現できない。たとえば、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11‥‥‥」とずっと数えていく。どんな数え方でもいいのですが、こうしてどこまで行っても「数え尽くせない」ことを通して、僕たちは無限を感じることができる。探究とは僕にとって、無限に向かっていく営みです。考え尽くせない、ということを考えるためには、ひたすらどこまでも考え続けていくしかない。


重要なことは、無限に向かっているということです。自力では包摂できない、手のひらに収められない何かの中に自分がいる。それを感じ続けていることが「ワンダー」です。探究は、何かを掴むのではなく、「掴めないものが本当にある」ことを示す。その意味で探究は、永遠に未完の営みです。だからこそ、だれかの歩んだ道を、読み継ぎ、書き継いでいくことができる。

これからも終わらない探究を、続けていきたいと思います。


森田真生(もりた まさお)

1985年生まれ。独立研究者。京都を拠点に研究・執筆の傍ら、国内外で様々なトークライブを行っている。著書『数学する身体』で第15回小林秀雄賞受賞、『計算する生命』で第10回河合隼雄学芸賞受賞、ほかに『偶然の散歩』『僕たちはどう生きるのか』『数学の贈り物』絵本『アリになった数学者』などがある。


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flier編集部

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