栃木県真岡市や芳賀郡を中心に配布されてた無料の地域情報紙「真岡新聞」が3月29日付の発行を最後に休刊し、41年の歴史に幕を閉じた。新型コロナウイルス禍後に広告収入が激減し、さらに物価高騰の影響を受けて資金繰りが悪化していた。地域に根ざした新聞の休止に、愛読する市民からは惜しむ声が聞かれた。【松沢真美】
真岡新聞社(真岡市荒町3、加納隆社長)が発行元の同紙は1983年5月に創刊。8~12ページのタブロイド判で週1回約6万部を発行していた。真岡市と宇都宮市東部の約4万2000世帯に全戸配布し、芳賀郡4町と上三川町では約1万8000部を新聞折り込みで配っていた。
紙面は地元に密着したニュースで構成。地元出身のJリーガーが誕生した時には地元からの応援の声を、夏には地元児童の沖縄訪問を通じて平和の尊さを伝えるなど、さまざまな切り口で地域の情報を読者に届けてきた。最後の1面は、益子町に新たに子ども食堂が開設されるという記事だった。学校や地域の細かな生活情報も人気の一つだった。
コロナ禍で主な収入源だった紙面広告と別刷りの求人広告の売り上げが落ち込み、紙や印刷代、配送にかかるガソリン代の高騰も経営の悪化に拍車を掛けた。経営状況の改善が見込めないと判断し、節目の通算2000号での休刊を決めた。
同社は今月3日、休刊をホームページで発表。すると、市民から数十件の問い合わせの電話があり、復刊を望む意見も多く届いているという。
愛読していた真岡市の女性は「子供のスポーツの大会や市の情報がきめ細かく載っていて、毎号楽しみに読んでいた。取材依頼にも応じてくれて、市民が発信することもできた。地域に密着した新聞がなくなるのは、とても寂しい」と残念がった。
同社は3月末に従業員12人とアルバイト約60人を全員解雇し、社屋も閉鎖して破産手続きを進めている。高島裕二統括部長は「長年にわたり支えてくれた読者、広告主にご迷惑を掛け申し訳ない。コロナ禍の影響が大きかった。今後については白紙だが、復刊の可能性があれば探っていきたい」と話していた。
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