台湾・新竹で開催されたTSMCの年次運動会で、報道陣の取材に応じるモリス・チャン氏(2023年10月14日)REUTERS/Ann Wang

<TSMCにとって中国は重要な生産拠点だが、それでも「半導体のカリスマ経営者」が「アメリカン・ドリーム」にこだわり続けたのはなぜか>

2024年の熊本工場(JASM)始動と第2工場の建設決定で、日本でも注目が高まる世界最強半導体ファウンドリー企業TSMC。

創業時からTSMCの取材を続けてきた台湾人ジャーナリストが「超秘密主義企業」について詳細に記し、台湾で大ベストセラーの話題書『TSMC 世界を動かすヒミツ』(邦訳、CCCメディアハウス)より「第5章 導体戦争、そして台湾と日本」を一部抜粋。

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TSMCは2004年、上海市松江区に8インチウエハー工場を建設すると発表し、2016年には南京に12インチ工場を設立して、8インチから12インチまでの投資を順に進め、生産能力の段階的な拡充も図った。

結果として、中国はTSMCにとって、台湾に次ぐ重要な生産拠点になっている。

WaferTechへの投資はうまくいかなかったが、中国での事業の拡張は段階的に進めることができた。その大きな理由は、中国の生産コストが米国よりはるかに低いことだ。

また、中国人の勤勉な気質は台湾人に近いものがあり、中国では米国で起きたような文化や人に関係する問題も非常に少ない。そして中国は「世界の工場」へと急成長を遂げ、世界の半導体需要の4割を担っている。

多くの海外メーカー大手は、チップの生産はTSMCで行い、その次のパッケージングと検査は台湾の日月光投資控股や、その他の半導体製造「後工程」を受託するメーカー[「後工程」を受託する企業をOSATという]などに委託し、完成したICを中国各地の製造拠点に直接送って、製品を組み立てて出荷している。

こうした状況は、グローバル化と国際分業の当然の帰結だ。中国の半導体業界も急成長しており、なかでもIC設計業界がより顕著だ。

米国の調査会社ICインサイツの資料によると、2022年の中国のIC設計業界の世界シェアは約9%で、米国の68%、台湾の21%に次ぐ第3位である。

取引先である中国のIC設計会社が急成長したこともあって、TSMCは上海と南京に2つの工場を相次いで建設して、顧客に近い場所でそのニーズに寄り添っている。

IBMの工場の買収を試みた理由

しかし、中国市場がいくら急成長しようが、米国がIC設計業界の本拠地であることに変わりはない。

また、モリス・チャンには積年の「アメリカン・ドリーム」もある。それは、米国での事業展開を成功させて、自身が30年以上も暮らしていた米国で、自身が設立したTSMCによって、一つでも多くの米国の顧客にサービスを提供することだ。

よって、WaferTechへの投資以外にも、米国に工場を建設するという夢をモリス・チャンはずっと抱き続けてきた。ニューヨーク州にあったIBMの工場を買収しようとしたこともその1つだ。

米国の知財弁護士でTSMCのCLOを12年務めた杜東佑(と・とうゆう)は、米国のエレクトロニクス技術専門メディア「EETimes」の取材を受けた際に、TSMCは2005年から、IBMのマイクロエレクトロニクス事業の買収を5度にわたり試みたと明かしている。

そのなかには、ニューヨークにあるIBMのウエハー工場の買収計画もあったが、台湾にソフトウェアに関する権利の侵害事例の記録があったという些細な理由で、米国防総省とIBMが高度な技術の流出を懸念し、結局は白紙になった。

杜東佑は、2005年からモリス・チャンと一緒に米国の製造拠点を探し始めた。当時検討していたIBMの工場には、ニューヨーク州の南に位置するイースト・フィッシュキルという集落の工場と、その近くのポキプシーという町の工場があった。

だがIBMとTSMCの交渉のなかで何が最大の障壁になっていたかというと、米国側が機密技術の外部流出を懸念していたことだった。

IBMの工場は米国防総省の下部組織の国防高等研究計画局(DARPA)の「Trusted Fabs(信頼できるファブ)」に指定されていたため、米軍から軍需用チップを受託製造できる権限を与えられていた。

よって、TSMCとの交渉中にIBMとDARPAは、こうした機密技術は彼らの同意がなければアジアに持ち出さないという確約をTSMCから是が非でも取り付けたかった。

杜東佑の話を聞く限り、当時の米国人の目には「台湾は中国である」と映っており、TSMCが5度交渉してもIBMの工場を買収できなかった大きな原因になっていたようだ。

IBMはその後、自社工場の継続を断念して米国の半導体メーカー複数社と交渉し、最終的に2014年10月、米国市場を主戦場とするグローバルファウンドリーズに売却した。

このニュースが報じられた翌日、モリス・チャンは台湾メディアの取材に対し、IBMと1年以上も前に交渉したが価格などで折り合いがつかず、合意には至らなかったと話している。

モリス・チャンは、「グローバルファウンドリーズはエンジニアを欲しがっていたし、技術的にもTSMCにかなり後れを取っていたため、IBMの人材と技術を吸収できるかどうかも大きな問題だった。よってTSMCに与える影響は小さい」との見方を示した。

これについては、「ウォール・ストリート・ジャーナル」が2014年4月に早くも、複数の関係者の話として、TSMCはすでにIBMの工場の買収交渉を打ち切っており、そもそもTSMCはIBMの研究開発部門が欲しかっただけで、工場の生産ラインを増やすことにはあまり乗り気でなかったと報じている。

こうした経緯を見ると、2005年の時点ではIBMの工場の獲得に意欲を示していたTSMCが、なぜ2014年に買収対象をIBMの研究開発部門に絞ったのかを容易に推察できそうだ。

この間にTSMCはウエハー製造効率でもコスト面でもほとんどの企業を大きくリードし、技術の研究開発でも他社に先行し始めていたが、IBMには依然として研究開発で強みがあった。それがTSMCの欲していたリソースだったということだ。

林 宏文(リンホンウェン)
ハイテク・バイオ業界の取材に長年携わりながら経済誌『今周刊』副編集長、経済紙『経済日報』ハイテク担当記者を歴任し、産業の発展や投資動向、コーポレートガバナンス、国際競争力といったテーマを注視してきた。現在はFM96.7環宇電台のラジオパーソナリティやメディア『今周刊』、『数位時代』、『?科技』、『CIO IT経理人』のコラムニストとして活躍中。著書に『競争力的探求(競争力の探究)』、『管理的楽章(マネジメントの楽章)』(宣明智氏との共著)、『恵普人才学(ヒューレット・パッカードの人材学)』、『商業大鰐SAMSUNG(ビジネスの大物サムスン)』など多数。


『TSMC 世界を動かすヒミツ』
 林 宏文[著]
 野嶋 剛[監修]牧髙光里[訳]
 CCCメディアハウス[刊]

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