昭和以降では最速で新大関となった「大の里」。今週からはじまる大相撲九州場所でも、その活躍に注目が集まっています。

角界に現れた“令和の怪物”の躍進とともに、にわかに注目を集めているのが“先代”の故郷・青森県藤崎町の和菓子、その名も『大の里』です。青森県内にも“大の里”フィーバーが到来しています。

新大関の「大の里」と和菓子の「大の里」

角界は9月、新たな時代を迎えました。24歳の新大関・大の里の誕生です。

新大関・大の里
「大関の地位を汚さぬよう、唯一無二の力士を目指し、相撲道に精進します」

石川県出身の大の里の歴史的な活躍。そのフィーバーは一見、縁のなさそうな青森県藤崎町の“ある商品”にも及んでいます。それが…。

こちら「りんご銘菓大の里」。2024年で100周年を迎えた町の老舗「アントルメ佐藤菓子店」が販売する和菓子です。

アントルメ佐藤菓子店 4代目 佐藤裕也 社長
「和菓子の方では、看板というかメインのお菓子です。うちの(商品の)『大の里』が先なんですけれど、知名度は向こうだなと。言っちゃいましたね」

60年以上に渡り親しまれる看板商品・和菓子の「大の里」とは?

和菓子「大の里」は、60年以上に渡って親しまれている看板商品です。白餡や卵黄をベースにした生地に、町発祥のリンゴ「ふじ」を使った餡を包み、最後に大の里の文字が入った型に押し込んで焼き上げた逸品です。その商品が「大の里」の活躍とともに注目が高まっています。

アントルメ佐藤菓子店 4代目 佐藤裕也 社長
「入幕して関取になりまして、小結以上、三役なったぐらいからはどんどん仕込みの量も増えていって、大関に内定ということで急にどっと注文がきている状態です」

そもそもどうして、「大の里」が商品名になったのか―。
その理由は、新大関・大の里の四股名とも密接に関連していました。

商品名が「大の里」のワケ “相撲の神様”との関係性

アントルメ佐藤菓子店 4代目 佐藤裕也 社長
「『その方』の名前がつくということで、まずその新弟子の時にどういう人なのかと自分でも調べたりして、そしたら学生チャンピオンでもあったりとか、こういう人に(名前が)継がれていくんだなという形で、その時から個人的にはすごく応援はしてます」

佐藤さんが『その方』と話すのは、藤崎町出身で大正~昭和にかけて活躍した元大関・大ノ里萬助です。7年間、大関の地位を務め“相撲の神様”とも称されました。

その功績を称えられ、町内の鹿島神社には大ノ里の記念碑が建てられています。

アントルメ佐藤菓子店 4代目 佐藤裕也 社長
「藤崎町では『大の里杯』という子どもたちの相撲大会がずっと行われていまして、その石碑が建ってから藤崎のリンゴをつかったお土産として名物を作りたいというので出した、というふうには伝わっています」

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