氷上を疾走するウィンタースポーツ、スケルトン。百分の一秒を争う世界でオリンピック™を目指す、石巻市出身の木下凜選手(23)。国内ではまさに敵なし。しかしその道のりには挫折もありました。そんな彼の人生には今年、新たな転機も…。いったいそれは?

圧倒的なスピードで全日本選手権8連覇

スケルトン 木下凜選手:
「本当に目の前が氷みたいな、下向いたら何も見えないみたいな感じで。ただ顔あげちゃうと空気抵抗になっちゃうので、できる限り低いところでかつ上目づかいをして、次どっちに曲がるかどれぐらいの幅があるとか。そういうところを全部頭に叩き込んで滑るので、本当に感覚の世界っていうか。見て次右だから右に操作しようとかっていう風にしてると一瞬で全部遅れちゃうような感じですね」

この競技、最も重要となるのがスタートダッシュ。助走でどれだけ初速をつけられるか。

木下選手はスケルトンのスタートタイムを競う大会で圧倒的なスピードを見せ、今年、全日本選手権8連覇を達成しました。

スケルトン 木下凜選手:
「だいたいプッシュと言われるスタートの部分で、7割くらいはタイムが決まるとは言われてます。エンジンが無いブレーキが無いということでやっぱりそうなってくると最初の加速っていうのがすごい大事で、かつ乗り込んでからの減速をできる限り少なくする。自分でどう減速させずにどう加速させるかっていうところにおいては、やっぱりスタートダッシュってところは、とっても重要になるところかなと思います」

アスリートとして着々とキャリアを積んできたようにもみえる木下選手。しかし、その道のりは、平坦なものでは、ありませんでした。

挫折からの出発

スケルトン 木下凜選手:
「中学校2年生のときにユースオリンピックっていう18歳以下が出れるオリンピックがあって自分は落ちてしまって、ユースオリンピックに出れなくて、そこで一回競技を辞めようかなって」

身体が小さかった中学時代、練習を重ねても全く芽が出ませんでした。スケルトンを辞めたい、素直に家族に相談しました。

すると…。

スケルトン 木下凜選手:
「お母さんから『本当に応援してくれている人たちに辞めるって言えるのか』って言われて、東日本大震災があったときにいろんな人に助けてもらって」

挑戦のはじまりは、ふるさとへの恩返し

彼のアスリートとしての挑戦は、震災後、支えてくれたふるさとの人々への恩返しから始まりました。

小学校3年生で被災した木下選手、仮設住宅ぐらしの時に出会ったスケルトンへの道を地域の人たちは応援してくれました。

木下選手の母 木下奈々さん:
「やっぱり震災からの復興だったり、誰かのためになるとか、自分が本当にしてもらったことを返していくっていうことなんだろうとは思うんですけど」

スケルトン 木下凜選手:
「その時にできたつながりの人たちもその当時応援してもらったので、やっぱりそういう人たちにもちゃんと胸を張って言えるような成績を残してから辞めようって思いました」

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。