幕末を代表する土佐の絵師で、「坂本龍馬に世界を教えた人物」とされる、河田小龍(かわた・しょうりょう)の偉業を振り返る展覧会が、9日、高知県立美術館で始まりました。

幕末の土佐藩に生まれた河田小龍は、幕末から明治前期までの激動の時代を生きた画家で、人脈が広く表現力に長け、「坂本龍馬に世界を教えた」と言われている人物です。

そんな河田小龍は、今年で生誕200年を迎えていて、それを記念した展覧会が高知県立美術館で始まり、9日には式典が開かれました。

会場では、小龍が手がけた、およそ130の絵画や資料が展示されています。作品からは、鎖国時代の終わりとともに入ってきた海外の文化を、いち早く取り入れようとした、小龍の"好奇心"や"柔軟性"も垣間見えます。

河田小龍の"子孫"で「5代目当主」、河田公満さん(写真左)。

9日、会場では、1人の男性が、小龍が描いた作品を静かに見つめていました。河田小龍の"子孫"で「5代目当主」である、河田公満(かわた・ひろみつ)さんです。この日、式典に招かれ京都から駆けつけました。

◆河田小龍の"子孫" 河田公満さん
「今回、このように大規模で、今まででかつてないような数多くの作品を展示してもらい、『河田小龍』を皆様に知ってもらえることは、本当に良かったと思います」

河田小龍の"子孫"で「5代目当主」、河田公満さん。

京都府で歯科医院を営んでいる公満さん。自身は「理数系の頭で…全然、歴史は、ちんぷんかんぷんだった…」といいます。しかし、父が他界してから「河田小龍の子孫」として活動していくことになり、自身が知らなかった"先祖"のことを勉強していく中で、その「繊細さ」に「すごいなぁ」と関心したといいます。

◆河田小龍の"子孫" 河田公満さん
「晩年(74歳)の作品を見て、70代であっても、小さな字で、英語や難しい言葉とかが書いてある。『この時代に、こんなに見えたんか』と。それくらい繊細な字や絵を書いていて、『素晴らしいな』と。『私も真似できないな』っていう感じでしたね。細かかったです。もうすごく、細かくて繊細。全然、自分はダメなんですけどね…。上手に書いていて、あれはもう『異才』ですよね」

小龍が晩年に描いた「琵琶湖疎水図誌」。琵琶湖から京都まで繋がる「水路」が立体的・繊細に描かれている。

公満さんも驚いた、小龍の「繊細さ」。例えばこちらは、その晩年に「当時の京都府知事に頼まれて描いた」と言われる、水路工事の過程を記録した「琵琶湖疎水図誌(びわこそすいずし)」です。琵琶湖から、京都の市街地まで繋がる「水路」の様子が、「立体的」に、そして非常に「繊細」に、描かれています。

こうした「表現力」に長けた小龍は、当時、多くの幕末の偉人からも慕われていました。

こちらは、小龍が手掛けた「漂巽紀略(ひょうせんきりゃく)」。漂流の末に日本人として初めてアメリカ大陸に渡ったジョン万次郎の、海外生活の様子を聞き取って描いたものですが、「これを坂本龍馬に見せ、龍馬に"世界"を教えた」とされています。

人脈が広く、表現力に長けた絵師「河田小龍」。"子孫"である公満さんは、「小龍の魅力を大勢の人に知ってほしい」と話します。

◆河田小龍の"子孫" 河田公満さん
本当に『この時代を変えた人間じゃないかな』と思っています。作品を通して当時の生活に影響を与えていると思うので、『どんな形で影響を与えたのか』、『どんなふうに受け継いでいくのか』、皆さんにも考えてもらえたらと思います。これからも、まだ見つかっていない、小龍の新たな作品がいっぱい出てくると思うので、そのあたりを期待して、今後につなげていきたいです。『河田小龍を知ってもらうこと』が、私の役目だと思っています」

"絵で時代を変えた"、土佐を代表する画家・河田小龍の展覧会は、高知市の高知県立美術館で、2025年1月5日まで開かれています。

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