沖縄県に先月開業した、訪問看護ステーション「ちゃんぷるー」。代表の眞榮田さんは、全身の筋肉が徐々に衰えていく難病、ALSを患っています。
ALSは、いずれは自力で呼吸ができなくなる難病ですが、2021年にこの病を発症し余命宣告を受けた眞榮田純義さんは、夢だった「起業」を実現しました。
進行する症状にあらがうように、目標に向かって進んでいます。
▽ALS患者で訪問看護ステーション代表 眞榮田純義さん
「きょうからよろしくお願いします」
「看護師が医療的ケアを必要とする人たちのご自宅に行って、安心して過ごせるように医療的ケアを行うのが主な仕事です」「やっときょう4人全員がそろってのスタートになったので、“やっと始まった”みたいな安堵感というか、これから、って感じです」
3人の看護師と共に、夢だった会社を立ち上げた眞榮田さん。近隣の病院や訪問看護事業者などをまわって、開業を周知します。
▽訪問先の事業所で 眞榮田純義さん
「家族に介護負担をかけたくないという僕の強い思いがあって、そのことをパートナーに相談したら、“一緒に訪問看護ステーションを立ち上げよう”という感じで、僕たち自身も分からないことだらけなので」
▽訪問先の看護ステーション代表者
「ぜひ、こうやって連携をとるのが大事だと思うので、色々な事例を共有しても良いのかなと。 “どこかないですか?” と聞かれた時に、“ちゃんぷるーさんがありますよ” と言えたら良いと思うので」
「今、どこまで(体の)機能があって、会社でどうやっていこうとかは?」
▽眞榮田純義さん
「機能は僕の体ですか?右手はグーパーは厳しい感じで、左はまだグーパーできてちょっと動く。足も、何か支えがあれば立てるくらいです」
眞榮田さんが、 ALSと診断されたのは2年前。医師からは「3年から5年の余命」と告げられました。
取材を始めた去年11月。眞榮田さんは自宅の中を歩いて移動し、車の運転もしていました。それから1年が経過し、生活は大きく変わりました。
▽眞榮田純義さん
「今は家の中も車いすで、ずっと動いている。(車を)運転した時に、駐車場の縁石で止まったから良かったんですけど、ブレーキが踏めなくて。その時点で(運転を)やめました」
いずれ、口から食事がとれなくなることを見越して、直接胃に食べ物を流し込むための手術も行いました。病は少しずつ眞榮田さんの自由を奪っていきます。
難病を抱えながら起業した眞榮田さんには、目標としている人がいます。
ALS患者で音楽イベントなどを手掛けるクリエイターの武藤将胤(むとう・まさたね)さん。
声が出せなくなった今も、過去に録音した肉声と、目の動きで文字を入力する「視線入力」を使って言葉を伝えています。
▽ALS患者でクリエイター 武藤将胤さん
「今後の僕の目標は、“ALSクリエイター”、アーティストとして、海外のフェスにどんどん挑戦して、世界のALSの仲間に希望を発信していくことです」
▽眞榮田純義さん
「初めて視線入力の姿を見た時に、この形が僕にとっての希望でした。やれることをやっていけば、できないことはないなと、武藤さんに教えてもらったかなって思います」
(記者)眞榮田さんの事業を武藤さんはどう思いますか?
▽武藤将胤さん
「眞榮田くんたちの訪問看護事業の挑戦が、また次の世代や多くの患者さんたちの希望に必ずなっていくので、たくさんの人の未来を変えていってくれるなと、聞いていてとても嬉しくなりました」
「ALS患者でありながら、経営者として生きていくのは健常者の人以上に大変なことも多いです。それでも諦めずに挑戦を続けていくと必ず仲間が増えていくので、どんどん仲間を巻き込んでいってもらいたいと思います」
▽眞榮田純義さん
「地域に根付いた医療的サービスや介護サービスなど、障がいやハンデがある人たちの力になるような会社になればいいなと思っています。利用者が安心し、信頼をおける会社にしていきたいと思っています」
訪問看護ステーション「ちゃんぷるー」という名前には、「障害がある人も健常者も一緒に、ごちゃまぜになって楽しめるようにサポートしたい」という意味が込められています。
進行する症状にあらがうように、目標に向かって歩き続ける眞榮田さん。余命宣告を受けた新米経営者の挑戦は、始まったばかりです。(取材 竹内伊吹)
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