石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。
能登半島地震発生から10か月を迎えました。9/21、未曾有の豪雨災害『奥能登豪雨』に見舞われた町野町では、たくさんのボランティアの方々の力を借りて、懸命の泥出しや清掃、復旧作業が今日も進められています。
ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載記事、第6回です。
輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。
私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。
2024/9/21 奥能登豪雨
日本海の低気圧や前線、台風14号から変わった温帯低気圧の影響で大雨が予報されていた能登に、線状降水帯の雨域(10~30分先の解析)が解析されたことから、顕著な大雨に関する石川県気象情報(第1号)が、21日09時07分に発表され、1時間に100ミリ以上の猛烈な雨が降り続いたため、石川県記録的短時間大雨情報(1号から5号)が発表されました。また、浸水害による危険度が更に高まったことから、21日10時50分には、輪島市、珠洲市、能登町に大雨特別警報(浸水害)が発表されました。
当日は朝から雨が降り続き、午前9時頃には雨の影響かケーブルテレビが映らない、電話がほとんど繋がらないという相談が、その後、たくさんの方から被害の状況が寄せられました。当時の記録の一部を、写真とともに、たどります。
9:43 堤防決壊、円山、山崩れ
9:47 東陽中学校前冠水
9:49 もとやスーパー付近が浸水
9:50 若桑地区土砂崩れにより通行止め
9:55 粟蔵地区、膝丈ほどの床上浸水
9:56 粟蔵地区の浸水区域が拡大
10:01 粟蔵地区、大規模な床上浸水
11:21 大規模な浸水の動画が届く
14:02 水が引き、もとやスーパー、粟蔵地区の写真が届く
金沢気象台の発表によると、この日、最大1時間降水量は輪島市で121.0ミリ(9月21日)、珠洲市で84.5ミリ(9月21日)。輪島市で412.0ミリとなった月最大24時間降水量は、統計開始以来1位の記録となりました。
夜を徹した復旧作業
21日夜から22日未明にかけて、地元建設会社の刀祢建設のみなさまが、海沿いの曽々木地区方面から、県土木の建設業者の方々と自衛隊のみなさまが能登町側から町野町への啓開を進めてくださいました。
雨が続き、再度の土砂災害もある危険な状況のなか、町野町の孤立集落解消のために、懸命の復旧作業が進められたのです。
夜を徹しての復旧作業のおかげで、翌日から町野町への緊急車両と地元関係者車両の通行が可能となりました。
町野町の全域で甚大な被害
奥能登豪雨の影響で、町野町は河川の氾濫、堤防の決壊のみならず、地震の復旧作業が行われていた道路の崩壊や土砂崩れによる被害、土石流による家屋の流出など、甚大な被害に見舞われました。
地震による倒壊でも甚大な被害を受けましたが、水害や土砂崩れ、土石流による被害はそれに追い打ちをかけるものでした。
できるだけ早く泥出しの作業を進めなければならないことはわかっていても、自分たちではどうすることも出来ないと、途方に暮れる人がほとんどでした。
水害の被害は、私の明治生まれの祖祖母の代に経験したという話が最後で、多くの方々にとってこれまでに経験のないものだったのです。
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