802年、胆沢城の造営によりもたらされた文化や技術により、エミシの集落は大きく様変わりしました。その変化に焦点を当てた企画展が岩手県奥州市で行われています。
沢城は現在の奥州市に設けられた古代城柵で、国が東北を収めるための政治、軍事の拠点としておよそ200年にわたりその役目を担いました。
造営後は近畿、東海、関東などから人が多く移り住み、新たな集落が形成されました。その際に、東北には無かった新たな文化や技術が持ち込まれました。
主なものとしては、それまでエミシの集落では「土師器」という700度から800度程度で焼かれた器が一般的に使われていたのに対し、胆沢城造営後に移り住んだ人々の集落跡からは「須恵器」という、登り窯で1100度以上の高温で焼かれた器が出土しており、この時期に新たなやきものの技術が持ち込まれたことを示しています。
そのほかにも、金属を加工して馬具を製造したり、新たな建築方法で建物を建てるなど様々な技術がこの地に伝わったことが読み取れる資料、およそ240点が展示されています。
この資料展は12月1日(日)まで、奥州市の奥州市埋蔵文化財調査センターで開かれています。
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