10月11日、今年のノーベル平和賞に日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会が選ばれました。長年、核廃絶を訴えてきた仙台市に住む被爆者の女性は受賞決定は「遅い」と複雑な胸の内を明かしました。
受賞決定を報告
今年のノーベル平和賞に選ばれた日本原水爆被害者団体協議会。13日、日本被団協の箕牧代表委員は、広島の平和公園を訪れ慰霊碑に花を手向けて亡くなった被爆者に受賞決定を報告しました。
日本原水爆被害者団体協議会 箕牧智之代表委員:
「みんな亡くなりました。活動が一番盛んなときにノーベル賞を受賞していたらもっと良かった」
日本被団協の代表理事を務める仙台市の木村緋紗子さん(87)もノーベル賞の受賞決定を手放しでは喜べないといいます。
木村さんの複雑な胸の内とは…
日本原水爆被害者団体協議会代表理事 木村緋紗子さん(87):
「何で今年なの、遅い、と思った。一生懸命やった人間がみんなあの世にいっちゃったじゃないですか。その後にノーベル賞もらうのは私うれしくない」
木村さんは8歳の時に広島で被爆し父や祖父など8人の家族、親戚を亡くしました。
木村緋紗子さん(2010年取材時):
「被爆した祖父は熱線で焼けただれ、幽霊のごとき姿に変わり果てていた」
長年、宮城県内各地で被爆体験を語ってきました。
アメリカでも原爆の悲惨さ訴える
その活動は国内に留まらず2010年にはアメリカ・ニューヨークを訪れ街頭で原爆の悲惨さを訴えました。
木村緋紗子さん(2010年ニューヨークにて):
「私は父に会いたい。父を返せと叫びたいです。再び我々のような犠牲者を出してはならない。そのためにも核兵器廃絶を1日も早く実現させることが大切です」
大切な家族を失った体験を心に刻み平和への強い思いを発信し続けてきました。
多くの仲間が亡くなる…
しかし、原爆投下から79年。被爆者の高齢化は進みともに活動してきた仲間も多くが亡くなりました。
木村緋紗子さん:
「喜ばせてあげたかった。一生懸命、一緒に運動してきたんですもの、『あと頼む、被団協頼む』と言われて生き残っているんですから」
県によりますと、今年3月末現在県内で被爆者健康手帳をもつ被爆者は80人。平均年齢は85.05歳となっています。
木村緋紗子さん:
「本当に先人たちがいるときに何でくれなかったのか、その悔しさしかない。私は核兵器がなくなるまであの世にいけません。いつだろうね」
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