海の青、山々の緑など、沖縄の自然を鮮やかに写す色合いと、どこかぬくもりを感じる気泡が特徴の「琉球ガラス」。

県内で制作が始まってから、120年ほど。1998年には沖縄の伝統工芸品に指定され、県民だけでなく沖縄土産の定番として、国内外の観光客にも広く親しまれています。

琉球ガラスの制作工程


▽制作作業を見る観光客
「こんなに離れているのに、熱風を感じて。間近でやっているお兄さんたち、すごいなと思います」

読谷村の宙吹きガラス工房「虹」。

取材に訪れた日、5人のスタッフが手際よく、琉球ガラスの制作に励んでいました。


窯の温度は、1400℃。夏場は工房内が50℃近くになることもありますが、厳しい暑さに負けず、1日に200個ほどの作品を作っています。

▽職人 稲嶺盛一郎さん
「技術もやっぱり当たり前ですけど、気持ちを込めて真剣に仕事をしようというのを原点にやっています」

「やっぱり残してくれた親父に感謝して、生きていたら今、こういったことをしたいだろう、という “続き” を考えながら、今も作品作りをしています」

工房の代表を務めるのは、稲嶺盛一郎さん。4年前、偉大な師匠でもあった父から工房を引き継ぎました。

盛一郎さんの父は、国から「現代の名工」として認められた稲嶺盛吉さん。海外からも高い評価を得て琉球ガラス制作の第一人者として活躍しました。

▽稲嶺盛吉さん(当時64歳)
「(琉球ガラスは)私の全て。仕事という感覚はないんですよ。楽しいですね、最高に楽しいです」

盛吉さんが、作品作りにおいて最もこだわったのが、廃ビンを原料とした、再生ガラスの活用です。

廃ビンから作る琉球ガラスは、不純物を100%取り除くことができず、作品には、うしても気泡が混ざってしまいますが、その泡を「味」に昇華させたのが、盛吉さんでした。

▽稲嶺盛吉さん(当時64歳)
「自然そのものを表現してくれるし、ものすごく温かい味わいを出してくれるのが
再生ガラスの持ち味です」

元々は、米軍基地から出るコーラやビールの空き瓶を活用し工芸品として生まれ変わった琉球ガラス。しかし、現在では、原料ガラスを使用した制作が一般的になっています。

しかし工房「虹」では今も、原料にはすべて廃ビンを活用し、盛吉さんが大事にしてきた「ぬくもりある作品作り」を受け継いでいます。

▽職人 稲嶺盛一郎さん
「1本1本時間をかけて、ガラスを作るまでに時間がかかるじゃないですか。そしたらガラス作るときにもまた喜びが倍以上楽しめると思って。だから絶対これは続けていきたい」

捨てられた廃ビンをアップサイクルし、琉球ガラスとして生まれ変わらせる工程は、つくる責任、使う責任、というSDGsの目標にもつながっています。

「廃ビンはやっぱり、原点。自分自身は廃ビンを使ったものが本物の琉球ガラスだと思っているんですよ」
「だからこれをさらに守りながら、どこの真似もしないで、もっともっと広めていきたいなとは思っています」

時代を超えて愛される琉球ガラスには廃ビンだからこそ生まれる温もりと、伝統を守り続ける職人の思いが込められています。
(RBC NEWS Link 「つなごう沖縄」2024年10月10日放送回)

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