沖縄本島北部の国頭村(くにがみそん)に一人追い込み漁で暮らす海人(うみんちゅ)がいる。地元で「勝ちゃん」と呼ばれる山城善勝(よしかつ)さん。今月、80歳を迎えた歩みは沖縄の米軍災禍の苦難の歴史と重なる。漁師としてかつて名護市辺野古の米軍新基地建設反対の先頭にも立ち、「美(ちゅ)ら海の埋め立ては許されない」と訴えている。(野呂法夫)

◆沖縄戦を生き延び、戦後は小学校への米軍機激突を目撃

 勝ちゃんは太平洋戦争末期の1944年10月、中部の美里村(旧石川市を経て現うるま市)で生まれた。1945年3月26日からの沖縄戦では激しい地上戦が展開。勝ちゃんは両親に抱かれてガマに逃げ込んだが、泣き声を嫌う日本兵から「子どもを黙らせろ(殺せ)」と言われ、家族はガマを出て捕虜となり生き延びた。

映画完成報告会で沖縄の心を歌う山城善勝さん=7月21日、東京都渋谷区で

 1959年6月、地元の宮森小学校に米軍機が激突して墜落し、児童ら17人が死亡した。勝ちゃんは近くの中学校の窓から戦闘機が迫るのを見て、「死ぬと思った瞬間、校舎を越えて宮森小がやられた」と振り返る。  米軍キャンプ・ハンセンの食堂で食器洗いの傍ら食糧を盗みだす戦果アギヤー(戦果を上げる者)やタクシー運転手を務め、1970年12月20日、現在の沖縄市で米軍関係者の車が焼き払われたコザ暴動に加わった。

◆漁師になり魚を追ってきた沖縄の海に新たな基地が…

 基地の街でどう生きるか悩んだ末、32歳で国頭村の漁師へ。「僕は海で遊んで魚を捕って育った。生まれながらの漁師だから」  サンゴ岩礁にグルクン(和名タカサゴ)の群れがいる。その追い込み漁を、網を工夫し魚の生態や潮を読んでたった1人で行い、数百キロを取る。そんな沖縄の海に新基地が造られる―。  2004年、市街地にある普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画を阻止するため辺野古の海に通う。調査掘削用やぐらでは赤いふんどしを10メートル流して泳ぎ、「海を汚すな。布に触るな」と抗議した。さらに、むしろに詩を書いて掲げると、共感の輪は広がった。

◆新基地建設で「海を殺しちゃいけない」

勝ちゃんの半生を追ったドキュメンタリー映画で、水中銃でロウニンアジを仕留めた場面(©森の映画社)

 《あの沖縄戦がおわったとき/山はやけ里もやけぶたも牛も馬も/陸のものはすべて焼かれていた/食べるものと言えば/海からの恵みだったはずだ/その海への恩がえしは/海を壊すことではないはずだ》  大腸がんなどを患ったが傘寿の漁師だ。「沖縄戦の死に損ない。何回も地獄の一丁目まで行った思いが支えてきた」と勝ちゃん。  新基地建設については「戦後、沖縄の人たちは海の幸に救われたことを忘れてはいけない。自然の海がそのままあれば、魚はいくらでも湧いてくる。海を殺しちゃいけない」と語る。    ◇

勝ちゃんの半生を追ったドキュメンタリー映画で、スズメダイの群れを追う場面(©森の映画社)

 勝ちゃんの半生を追ったドキュメンタリー映画「勝ちゃん―沖縄の戦後」が完成した。影山あさ子・藤本幸久共同監督、森の映画社製作。12日から東京のポレポレ東中野で上映され、横浜や名古屋などで公開。 

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