今年のノーベル賞受賞者が10月7日の生理学・医学賞を皮切りに発表される。日本人の受賞者が出るかどうかが注目される。2000年以降、自然科学分野の3賞(生理学・医学、物理学、化学)での日本人の受賞が急に増えたが、一昨年と昨年は受賞できなかった。受賞ラッシュは今後も続くのか。指標となる論文数などのデータからは、あまり楽観できないとの指摘もある。(編集委員・永井理)

◆2000年から「常連国」に

 日本のノーベル賞受賞者は28人(受賞時に米国籍の3人を含む)。世界で7番目の数だ。同賞は単に功績を顕彰する賞ではあるが世界に大きな影響力を持つ。特に自然科学では、その受賞者数が、国や大学、研究機関などの研究水準の高さを示す指標とみなされることもある。

ノーベル賞化学賞を2000年に受賞した白川英樹さん(左、木口慎子撮影)と、物理学賞を2021年に受賞した真鍋淑郎さん(杉藤貴浩撮影)

 日本では湯川秀樹ら受賞者に憧れて科学を志した人も多い。ノーベル賞がわが国の科学水準を大きく引き上げたのは間違いないだろう。やはり日本人の受賞の動向は気にかかる。  日本では2000年を境に自然科学分野3賞での受賞が急増したのが特徴だ。それまで3賞の受賞者は湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、福井謙一、利根川進の5氏だった。だが、2000年に白川英樹・筑波大名誉教授が化学賞を受けたのを皮切りに、24年間で20人が受賞。今世紀に限ると、3賞の受賞者数は米国に次ぎ世界2位の「ノーベル賞常連国」だ。

◆「受賞ラッシュ」の勢いに陰り

 2008年には物理学賞と化学賞で計4人、2014年には物理学賞を3人が受けるなど、複数人受賞も珍しくなくなった。  しかし、2016年以降は複数人受賞がなく、直近2年間は受賞者が出ていない。この4年間で受賞者は2021年の真鍋淑郎氏(物理学賞)1人だけ。真鍋氏は渡米後の業績で受賞していることも考えると、日本の勢いに陰りが見えてきたのかと気になるところだ。受賞者が2年間出ないだけで大げさかもしれない。しかし、気にするのはそれなりの理由がある。

◆「注目論文数」が急落した日本

 ノーベル賞級の研究かどうかを知る一つの手掛かりが、他の論文に引用された回数(被引用数)だ。ノーベル賞予想で知られる英クラリベイト社によると被引用数が2000を超すのが予想対象者を選ぶ一つの基準という。その研究の論文が多く引用されるのは世界的に注目されているということだからだ。  文部科学省の調査では、被引用数が上位10%に入っている論文(TOP10%論文)数の国別ランキングで日本はこの20年間で4位から13位に順位を下げた。一方、論分総数は世界5位で研究投資額も3位と上位クラス。つまり注目論文を出す力、いわば基礎研究力が落ちたのだ。  ノーベル賞は最初に成果が発表されてから受賞に至るまで平均で20年ほどかかる。2000年以降のノーベル賞ラッシュは、いわば20世紀の遺産によるものといえる。逆に、20年前からの研究力低下の影響が、そろそろ受賞者数に表れてもおかしくないという見方だ。

◆実用重視、研究費減…有能でも「力を発揮できない」

 注目論文を出す力が低下したのはなぜか。一つの要因はバブル崩壊後の「科学技術創造立国」という言葉に象徴される、科学で経済を立て直すという考えだ。1996年の科学技術基本計画にも登場した。2001年に政府は経済再生のために4分野(ライフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料)を重点的に振興する方針を打ち出した。重点の設定自体が悪いとはいえないが、そこに基礎科学も巻き込まれた。  研究を経済に役立てるには実用化が必要。研究現場には「社会実装が強く言われる。予算をもらうために実用化に力を注ぎ基礎研究のパワーがそがれる。いい論文が減るのは当然」との声もあった。2002年物理学賞の小柴昌俊・東京大名誉教授(当時)が、自らのニュートリノ研究について「何の役にも立たない」と力説したのは、そんな空気を感じていたからだろう。  国立大の法人化も要因と指摘される。国から大学への運営費交付金が減り、研究者に広く配分される基盤的な研究費も減った。一方、公募で選ばれたテーマに比較的大きな予算を与える競争的資金が増えた。研究者は資金を得るため審査に通りそうなテーマを選ばざるを得ず、自由な発想の研究がしづらくなった。大隅良典・東京工業大栄誉教授も生理学・医学賞の受賞後「研究費獲得などにきゅうきゅうとして有能な人が力を発揮できずにいる」と憂えた。

◆「多くの種に広く水をまく方がいい」

 筑波大の大庭(おおにわ)良介教授らは昨年8月、研究費を薄く広く配分する方がノーベル賞級の研究が生まれやすいとの分析を発表した。世界の3000万本以上の論文と、論文が含むキーワードを分析、被引用数の変化パターンや伸びからノーベル賞級の研究に発展する可能性のあるキーワードを判別する手法を開発した。  その手法で国の科学研究費補助金(科研費)に採択された研究課題18万件を分析。その結果、補助金額500万円以下の少額課題の方が、それ以上の高額課題よりもノーベル賞級キーワードを含む論文が投資額あたりで多く出ることを明らかにした。1000万円、1億円と補助額が大きくなるほど効率が悪くなる傾向も見られた。研究費を薄く広く配る方がノーベル賞級の研究の芽が出やすいことを示す結果だ。大庭氏は「研究は土の中の種のようなもの。芽が出るまで良しあしは分からない。それまでは多くの種に広く水をまく方がいいということ」と話す。  ノーベル賞受賞者数の傾向が今後どうなるかは見通せない。しかし、トップ論文数の国別ランキングの低下は既に深刻だ。 

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