追悼式を前に、戦没者名簿が奉納される碑を訪れた人たち=5日午前

 太平洋戦争中の1944年、米軍が沖縄県内各地を爆撃し、600人以上が死亡した「10・10空襲」から10日で80年となるのを前に、被害の大きかった那覇市で5日、戦没者追悼式が営まれた。甚大な被害を受けて、その後旧日本軍は戦闘方針を本土防衛に変更し、約半年後の沖縄戦へとつながった。  会場の旭ケ丘公園にある碑には、市出身の戦没者約3万人の名簿が奉納されている。遺族らが参列し、空襲や沖縄戦の犠牲者を追悼。  44年10月10日、米軍は沖縄や鹿児島県奄美地方などを爆撃した。  沖縄県公文書館によると、集中的に狙われた当時の那覇市は家屋の約9割が焼失し、255人が犠牲となった。


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