高校サッカーで富山第一が全国の頂点に立って10年…。あの舞台に立てなかった補欠選手がいま、海外でプロサッカー選手となり夢を追いかけています。諦めない男、浜松竜大を当時の富山第一高校サッカー部の優勝メンバーだった川縁大雅記者が取材しました。

ニュージーランドのプロサッカーリーグで豪快なゴールを決めチームを勝利に導く日本人プレーヤー浜松竜大、29歳。富山県を離れて10年…。夢を叶えるため海外で挑戦を続けています。

9月28日、富山市八尾町の河川敷に浜松選手がいました。

浜松竜大選手「おはようございます」
川縁記者「きょうは何をされるんですか?」
浜松竜大選手「きょうは富山県に来てサッカースクールイベントします。いま自分にできることって未来につなげること。いま現役でやっているからこそ伝えられるし、引退したら自分はそんなに有名な選手じゃないので。今しかできない」

久しぶりに地元に帰省した浜松選手。富山市内にある実家に招いてくれました。そこで、小学生の頃から抱いている夢を語ってくれました。

浜松竜大選手「FIFAクラブワールドカップ。全部見に行っとるからね。メッシとか、クリスティアーノ・ロナウドも。俺もこの大会に出たいんだよね」

浜松選手の夢は、ヨーロッパや南米、アジアなどの大陸王者がクラブ世界一を決める大会、FIFAクラブワールドカップに出場することです。

英語が話せないのに、単身シンガポールへ…

その夢を叶える第一歩として進学したのは元日本代表FWの柳沢敦さんを輩出した地元の名門・富山第一でした。浜松選手が3年生の時、チームは第92回全国高校サッカー選手権・最後の国立と言われた大舞台で北陸勢・県勢初の全国制覇を成し遂げました。しかし、ここで浜松選手はメンバー入りができませんでした。

高校3年生時の浜松選手「ちょっとでも選手の力になれたらモチベーションあげられたらと。チームと同じ思いで戦っているよっていうのを伝えたかったです」

悔しを持ちながらも大会前にメンバー外の3年生のメッセージをまとめて応援動画をつくりました。しかし、あの当時、仲間には打ち明けていないことがありました。

浜松竜大選手「あれは本当にチームのためって考えとったし、何もせずに終わるんだったらダサいじゃん。人間としてね」「実は、選手権に行っているとき、俺、胃潰瘍になって、吐きまくって…」

胃潰瘍になるほど悔しい思いがあったと当時を振り返ります。プロになりたくてもJリーグのチームからは当然のようにオファーはありませんでした。

浜松竜大選手「英語の勉強していました。ABCDから。これです。このレベルです。大文字のテスト練習って言ってるくらいだからね。大雅見て、次のページは、ほぼないから。グッドモーニング、おはよう」「この人ヤバくないってなるんじゃない」
川縁記者「これでもいけるんだって勇気持たせると思うぜ」
浜松竜大選手「中学英語あれば海外住めるから」

高校を卒業後ほとんど英語が話せないにも関わらず単身シンガポールへ渡りました。

ドイツ5部へステップアップのはずが…

浜松竜大選手「最初つてが何も無いからトライアルで殴り込むしかない。きれいごと言ってられないって感じだったね。俺は高校サッカー出れんかったし」

当時、サッカーが発展途上で日本人選手を多く受け入れていたシンガポールのチームと契約にこぎつけると、2年目はドイツ5部のチームに。海外で経験を積んでステップアップするはずでしたが試合中にタックルを受けて右膝の靭帯を断裂。

浜松選手「うわー、ここからだったのになーってすごいなって、立ち止まりそうにあったけど、やっぱりよぎるよね高校サッカーの時の悔しさとか、ここで逃げるのは違う」

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