1094日間で残した“岸田語録”とは
「3年間本当に多くの皆さんに支えていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。まずは今それに尽きます。ありがとうございました。お世話になりました」
10月1日。
総理官邸のエントランスで職員から花束を渡された岸田総理は、記者団に対しこのように述べたあと、普段は使わない中央の出入り口を通って官邸を後にした。
在職日数は戦後の総理大臣では歴代8位となる1094日。およそ3年間続いた岸田政権が残したものは何か。新しい資本主義、異次元の少子化対策、防衛増税…こうした主要トピックについてはすでに各所で解説されているため、私は特に印象的だった岸田総理の3つの言葉を紹介することで、掘り下げてみたい。
「今日(こんにち)のウクライナは明日の東アジアかもしれない」
2022年2月に起きたロシアによるウクライナ侵攻。直前まで日ロ電話首脳会談を行い、「プーチンがそこまでやるかなあ」と周囲に漏らしていた岸田総理にとっては大きな衝撃だったに違いない。しかし、そこから岸田総理は一気に舵を切り、G7による制裁の列に加わった。
2022年5月、ASEANなど各国の代表を招き、都内ホテルで開かれた「アジアの未来」晩餐会で岸田総理はこう語っている。
岸田総理(2022年5月26日「アジアの未来」晩餐会にて)
「『ウクライナは明日の東アジアかもしれない』ウクライナにおける力による一方的な現状変更は、世界のどこでも起こり得るものです」
ウクライナ情勢は、欧州のみならずアジアを含めて国際秩序全体を揺るがすもので、“対岸の火事”などではないという岸田総理のメッセージ。
岸田総理は、この言葉に「今日の」を加えて国際会議や首脳会談の場などで多用するようになり、その後、国際的に広まることとなった。
岸田総理周辺
「あの言葉はバズりましたよね。ゼレンスキー大統領からも感謝された」
岸田総理の周辺は、ロシアと袂を分かったことも「従来の安倍外交ではできなかった」と語っていて、こうしたウクライナとの連帯重視姿勢は2023年3月のウクライナ・キーウ電撃訪問、同年5月のG7広島サミットでのゼレンスキー大統領招待へとつながっていく。
ゼレンスキー大統領(9月23日ニューヨーク国連本部)
「去年の広島サミットへの参加はウクライナにとって非常に象徴的かつ重要なことで、それ以降G7の会合にウクライナは参加できるようになった」
9月、最後の外遊として訪れたアメリカ・ニューヨークでゼレンスキー大統領と会談した岸田総理は、これまでのウクライナ支援への感謝として最高位の勲章を授与された。
「インベスト・イン・キシダ」
2022年5月、岸田総理は世界最大級の金融街であるイギリス・ロンドンの「シティ」で演説を行った。
岸田総理
「私は、最近の総理大臣の中では、最も経済や金融の実態に精通した人間だと自負している」
「安心して日本に投資をしてほしい。『インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)』です」
この発言の背景には、政権発足当初、「成長と分配」と言いつつ、特に金融所得課税などの“分配重視”の政策がクローズアップされたことで、政権の成長戦略に対する失望感が広まったことがある。当時は株取引で大きな損を出した人を指す、「岸り人(きしりびと)」という言葉も市場関係者の間で聞かれていた。
岸田総理も「岸田政権はマーケットに厳しい」と言われることを気にしていたようだ。
このため、このシティでの演説で「貯蓄から投資へのシフトを大胆・抜本的に進め、投資による資産所得倍増を実現する」と初めて訴え、具体策としてNISAの抜本的拡充を挙げた。
岸田総理(周囲に対し)
「問題は中間層の資産をどうやって増やせるか、そこがポイントだから。家計金融資産がアメリカは3倍、イギリスが2.3倍になったのに日本は1.4倍だろ?ここに欧米との差があると思ってる」
「俺、証券市場等育成議連の会長やってたからNISAは誰よりも詳しい」
このNISA制度の拡充は、岸田政権の看板政策である「資産運用立国」へとつながっていく。マーケットに嫌われていたはずの岸田政権だったが、2024年には日経平均株価が4万円を突破し、史上最高値を更新するに至った。
「今回は大いに勉強になった」
2023年6月。G7広島サミットを終え、内閣支持率が上昇したことを受けて最大の解散チャンスを迎えていた。与野党からも解散総選挙を警戒し、選挙準備を始める議員も出てきていた。ところが…
記者(2023年6月15日・総理官邸にて)
「今国会で解散はしないということでよろしかったでしょうか?」
岸田総理
「解散については考え…、今は、今国会での解散は考えておりません」
解散の可能性を完全否定したのだ。
この日の深夜、岸田総理は周囲に対して興奮気味にこう語ったという。
岸田総理(周囲に対して)
「解散権というのはこうやって使うんだなと、大いに勉強になった」
「最大の収穫は解散権をとっておくことができたことだ」
岸田総理からみれば、解散騒ぎの間に
・防衛費の財源を確保する特別措置法案やLGBT理解増進法案などの重要法案を相次いで会期内に成立させることができた
・衆議院の10増10減で難航が予想された選挙区調整を一気に進めることができた
というのは大きな成果だ、と考えたようだった。
解散カードを失うことなく、振りかざしただけで多くの成果を得ることができたと自信を深めたというのだ。ただ、結局、これ以降岸田総理が実際に解散カードを使うことはなかった。
岸田総理はこうした政局が好きだったようで、私が政府関係者から聞いた岸田総理のものとされる政局発言、ざっと挙げるだけでもこれだけある。
「博打を打たないと逆転はできない」(2024年1月、派閥の裏金事件による支持率低迷を受け)
「これは勝負だ。全部ひとりで決めた」(同時期、岸田派の解散や衆院政治倫理審査会への出席を相談なしに決めたことについて)
「俺も政治家として政策で意地は示してきたが、ここで一回身を引いて、『攻めの辞任』をすべきだと考えた」(2024年8月、総裁選への不出馬を表明後)
「攻めの辞任」の先に待つものは
「攻めの辞任」に踏み切った岸田総理。
9月の自民党総裁選では旧岸田派議員に対し、決選投票で石破候補に入れるよう働きかけ、“勝ち組”となった。
退任した岸田総理に対しては、将来的な再登板に期待を寄せる声もある。一方で、同じ旧岸田派に所属していた林官房長官が、総裁選の論戦で評価を高め4位に入ったことで、「今後、宏池会(旧岸田派)の総理候補は林氏で決まり」と語る旧岸田派議員も多い。
数々の実績と語録を残した岸田総理。その歴史的評価と“勝負の行方”が見えてくるにはまだ時間がかかりそうだ。
TBS政治部 前官邸キャップ
川西 全
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