またしても起きたアメリカ兵による少女への暴行事件。沖縄県警は外務省などには事件を通報していましたが、地元の沖縄県には知らせていませんでした。金平茂紀キャスターの取材です。

「静かな沖縄を返して」1995年の少女暴行事件

「私たちに、静かな沖縄を返してください」

1995年、沖縄県在住の小学生が、米軍基地所属の海兵隊員ら3人に乱暴される事件が起きた。沖縄県警は米兵3人の逮捕状を取り、米軍に身柄の引き渡しを求めたが、アメリカ側は日米地位協定を盾に引き渡しを拒否。県民の怒りは頂点に達し、県民総決起大会には8万5000人が参加した。

金平茂紀キャスター
「私は当時、この事件に特に力を入れて取材しました。他の新聞社やテレビ局もこの問題にまだ関心を払い続けていた、そんな時代でした。

あれから29年経ちました。当時の熱気を思い出させるようなものは、今何も残っていません。またアメリカ兵による、沖縄県民に対する性暴力事件が頻発している。当時と一番違うのは、それが『隠されている』ということです」

29年前と今、一体何がこのような違いを生んでしまったのか。沖縄に住む人以外には、関係のないことなのか。

また起きた少女性的暴行事件 怒りは米軍と日本政府に

沖縄の怒りは今、米軍と同時に、とりわけ日本政府に向けられている。

2023年のクリスマスイブの午後4時過ぎ。嘉手納基地所属の空軍兵、ブレノン・ワシントン被告(25)が、県内の公園から16歳未満の少女を車で自宅に連れ去り、性的暴行を加えたとされる事件。

被害を受けた少女の家族が警察に通報したのは、その日の夜だった。

しかし、沖縄県警は身柄拘束を請求せず、米兵から任意で事情を聴き、2か月半後に書類送検。その後、那覇地検が不同意性交などの罪で起訴した。

事件が明らかになったのは、発生から半年も経った頃。地元テレビのニュースで報じられたことがきっかけだった。

元琉球朝日放送デスク 金城正洋 氏
「知事がうちのニュースを見て、驚いていると。それで県庁自体が騒いで県警に話したりとか、いろいろ大騒ぎになるわけです」

半年もの間、沖縄県警から県に対して一切の情報提供はなく、県と県民だけが知らされていなかった。

金平キャスター
「初公判で被告は起訴事実を認めるものとみられていますが、スピード結審となって、次回は判決が行われるのではないかということです。問題の根っこは全く解決されていません」

このレポートの後、金平キャスターは法廷に入り愕然とした。いかに現実を捉えていない甘い認識だったか、その後、思い知らされるされることになった。

被告は、糊のきいた白いYシャツ、黒いズボン姿で、靴はピカピカに磨かれていた。

「Not Guilty(無実)」

初公判で、ワシントン被告は堂々と無罪を主張したのだ。

ブレノン・ワシントン被告
「私は無罪です。誘拐もしていなければ、性交などもしていません」

被告の弁護人も、「被告は18歳と認識し女性と自宅に行き、同意のもとで性的行為を行った」と主張した。

“異様な空気” 衝立の中から子どもの声 7時間半にも及ぶ尋問

今回の事件で、性被害を受けた少女への精神的負担は、はかり知ることができない。

第2回公判。被害者の少女が証人として出廷し、法廷内で直接証言をするという、きわめて異例の展開となった。

法廷は異様な空気に包まれていた。法廷の中央には大きな衝立が設けられ、被告席と傍聴人席からは見えないようになっていた。衝立の中から声が聞こえてきた。子どもの声だった。

被害者の少女(証人)
「犯人は日本語で『何歳ですか』と聞いてきました。年齢は(16歳未満)です。英語でも(16歳未満)と答えました。わかるように右手と左手で、ジェスチャーでも答えました」

被告は、自分は19歳で軍の特別捜査官だと紹介し、銃を持っている写真を見せた後、「寒いから車で話さないか」と持ちかけてきたという。

被害者の少女
「私は『はい』と答えました」

検察
「実際に車に乗ったのはどうしてですか」

被害者の少女
「逆らうのが怖かったからです。車の中で『自分の家を見に行かないか』と聞かれました」

被告の家に着くと…

被害者の少女
「今逃げても、逃げられないと思いました。私はリビングのソファーに座り、犯人は右隣に座ってきました。30cmもない距離でした」

ソファーの上で無理やり性的な行為が始まり、少女は懸命に拒否したという。

被害者の少女
「少し顔をのけぞるようにしました。日本語で『やめて』と言いました。英語でも『ストップ』と言いました」

少女はこの事件のあと、夜眠れなくなり睡眠薬を服用していると話した。自分の感情がコントロールできず、自傷行為にも及んだという。

検察
「犯人に対してはどんな思いがありますか」

被害者の少女
「自分が犯した罪の重大さをわかって欲しい」

少女への尋問は、7時間半にも及んだ。

金平キャスター
「ここでレポートするのもおぞましいほどの過酷な暴行が執拗に行われたということを、時間をかけて証言していました」

政府は“再発防止をお願い” 強く主張できない背景に日米地位協定

沖縄でこうした事件が表沙汰になる度に、政府はいつも再発防止を徹底するよう、米軍に「お願い」を繰り返す。

政府が米軍に強く主張できない背景には、日米地位協定があることは明らかだ。

米兵らの公務中の犯罪は、裁判権がアメリカ側にあり、公務外でも日本側が起訴するまでは被疑者の身柄を日本に引き渡さない権利をもつ。日本の警察はアメリカ側の「好意的配慮」がなければ、取り調べることもできない。

1995年の事件以降、米軍絡みの重要事件については日米両政府の間で情報を共有するシステムが確立され、沖縄県にも連絡がいくはずだった。

関係者によると、今回、沖縄県警は外務省などに連絡。在沖縄米軍は米軍総司令部に報告をした。しかし、肝心の沖縄県には届いていなかった。

当時の外務省報道官の記者会見は、用意された書面を読みあげるものだった。

小林麻紀 外務報道官(当時)
「被害者のプライバシーに関わる事案については、慎重な対応が求められていると考えている。常に関係各所へ、もれなく通報が必要だとは考えていない」

この間、日米間そして沖縄県では重要な政治日程が続いた。玉城デニー知事に話を聞きたいと思った。もどかしい思いがどこかにあったからだ。

――玉城知事、すごく優しくなられたのではないですか。沖縄県警が今回取った態度は、県知事に対する裏切りじゃないですか。

玉城デニー 沖縄県知事
「それで県民の安全が守れると思っているんですかと、私は(県警)本部長に問いかけました。それは我々が再発を防止する責任がある、皆さんは犯罪を防止する責任がある。同じ責任を全うしないと、県民は安全安心に生活できないと、警察なんか役に立たないというようなことも、合わせて言わせていただきました」

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