平成の大合併が始まって20年。地域の今を見つめる特集「ふるさと新時代」です。鹿児島市と鹿屋市を拠点に新しい鮮魚店の形を追求し若い世代への発信を続ける男性の取り組みです。

(出水田一生さん)「コツは少し斜めに切ると大きく見える。フライとしては食べやすくなる」

鹿屋女子高校で行われている魚の商品開発の授業。この日は生徒たちが考えたメニューを試作しました。

3年前から授業を受け持っている出水田一生さん(38)です。地元・鹿屋市で鮮魚店を経営しています。

(出水田一生さん)「ギコギコすると切りにくい」

普段触れることが少ない魚の処理に苦戦しながらもなんとか完成しました。

(生徒)「おいしい」

祖父の代から続く鮮魚店に生まれた出水田さん。九州大学理学部で遺伝子などを研究し研究者を目指していました。

しかし、博士課程4年だった27歳のときに父親が食道がんと判明。幼いころから実家の商売に興味もあったことから後を継ぐことを決めました。

しかし、家族には反対されたといいます。

(出水田一生さん)「親戚や両親が反対していた。大学院まで行ったのに何で帰ってきたんだと言われたけどじいちゃんだけは喜んでくれた」

創業50年の出水田鮮魚。地元の病院や学校などへの卸売がメインでしたが、県外企業の参入や冷凍技術の発達などで店の売り上げは年々減少していました。

こちらは日本人1人当たりの1年間の魚介類の消費量の推移です。2001年度の40.2キロをピークに2021年度は23.2キロまで減り、ほぼ半減しています。

魚離れを食い止めるため客に直接、魚の魅力を伝えようとそれまでの業者への卸売に加え、鹿屋市で小売店を開始。ネット販売や加工品の開発も進めました。

しかし、思うように売り上げは伸びなかったといいます。

(出水田一生さん)「商談会行って販路を考えたけど、実績もないし最初は苦労した」

「新しい魚屋のかたち」を模索し続けていた出水田さん。地元でとれたての魚を売るだけではその魅力が伝わらないと考え、おととし鹿児島市にオープンさせたのが出水田食堂です。

店では錦江湾など県内沖でとれた魚を中心に使っていて、売りはアジのフライ。

仕入れや値段にばらつきがあり、処理に手間がかかるため、冷凍を使う店もありますが、生のアジからつくることにこだわっています。

(客)
「おいしい。ここのを食べたら他のは食べられない」

「フワフワ」

(記者)「鮮魚店が併設されている。買い物も便利」

飲食店の横には鮮魚店も併設していて、昔ながらの魚屋の良さも大事にしています。

(出水田一生さん)「いろんな魚が並んでるのを見て子どもが喜ぶ。これが入ったよと勧めてもらって夕飯決める、昔ながらの魚屋の良さは伝えたい」

魚離れの時代に家業を継ぎ挑戦を続ける出水田さん。消費者だけでなく、働く側の環境整備も進めています。

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