パリ五輪・パラリンピックを契機として、文部科学省は公立学校でアスリート教員の採用を拡大すると発表した。教員免許がなくても、高度な専門性のある社会人向けの「特別免許状」を出して、採用するよう全国の教育委員会に促す。やや唐突感のあるこの方針。効果はあるのか。(宮畑譲)

◆文科相「プラスの効果があるのではないか」

 文科省によると、五輪などの経験者を採用する場合には、決められた教員の定数とは別に、数十人の配置を見込む。また、教職を希望するアスリートのリストを作成して教育委員会と共有するほか、オンデマンドの研修パッケージを提供するという。  「そういう舞台に立つだけの経験、努力。いろんな力を生かして学校の教育活動に参加してもらえることは、児童・生徒やほかの先生にプラスの効果があるのではないか」。盛山正仁文科相は今月13日の会見でこう語った。

盛山正仁文科相

 「特別免許状」は、教員免許は持たないが、専門的な知識を持つ多様な外部人材を教育現場に生かそうと、1988年に創設。これまでに計2774件が授与された。年々、増加傾向にあり、2022年度は500件に上る。うち英語が225件を占める一方、保健体育は8件にとどまる。  これまでもあった制度を活用するわけだが、なぜ今、アスリートの枠を拡大するのか。文科省の担当者は「特別免許状の促進は前から言っている。あくまでパリ五輪はきっかけで、アスリート以外の対象も広げていく可能性は高い」と答えた。  アスリートは「起爆剤」ということか。教育現場にプラスになるのか。

◆「技術、経験は特殊で共有は簡単ではない」

 ラグビー元日本代表で神戸親和大の平尾剛教授(スポーツ教育学)は「トップアスリートの技術、経験は特殊で共有は簡単ではない。言語化するには学びと経験が必要になる。また、勝利至上主義の中を勝ち上がってきた人たちであり、能力主義的な考え方に陥りがち」と言い、教育現場になじみにくいと考える。  その上で、「幅広いスポーツのルールや動きを教え、楽しく運動と付き合い、自ら体を育てるように促していくのが体育の授業。アスリートの能力とは区別して制度設計をしないといけない。あまりに安易だと思う」と批判する。

東京五輪の開会式で、無観客の中、入場行進する日本選手団=2021年7月、今泉慶太撮影

 そもそも、公立学校の体育の授業に五輪クラスの運動能力は必要なのか。部活動の指導者ならいいのか。  平尾氏は「プレーと指導は違う。子どもに技術を伝えるのは簡単ではない。部活動でもそこまで高度なレベルは必要ない。公立学校で、アスリートがプレーした種目と指導する部をマッチさせられるのか。実際に配属されても、本人も周りも混乱するのではないか」と話す。

◆「教員免許を取ったアスリートに失礼」

 スポーツ科学部のある中京大で教職科目を教えた経験がある、武蔵大の大内裕和教授(教育社会学)は、国際試合に出場するようなトップアスリートが自分の授業に出席し、教員免許を取得するのを見てきた。  「厳しい練習と並行して勉強し、教員免許を取って体育の先生になる学生はたくさんいた」と振り返り、「バイパスのように先生になれるというのは不公平感を感じる。教員免許を取って採用されたアスリートに失礼だと感じる」と話す。  当然だが、教員免許は必要な単位を取り、教育実習を経て初めて取得できる。大内氏は「アスリートが培った能力と、教員として必要な能力にはかなりの距離がある。アスリートが教員免許を取るための環境を整え、支援するというのなら分かる。あくまで教員免許を取った人が教えるのが王道だ」と訴えている。 

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