「LIVEしずおか」では9月26日の判決まで、この事件が現代に問いかける問題に迫る「袴田事件再審判決へ」をお送りします。
初日は「疑惑の証拠」について。振り返ると「袴田事件」の“証拠”は袴田さんを犯人とするには不可解なものばかりでした。
<記者>
「沼津に来ると事件当初を思い出しますか?」
<高橋国明さん>
「それはあります。もう58年ですからね。僕もまだ10代の頃ですから」
2024年8月、生まれ故郷の静岡県沼津市を訪れた高橋国明さん(74)。
かつてこの場所には、高橋さんの父親が店主を務める刃物店があり、商品だった「くり小刀」は「袴田事件」の凶器とされてきました。
【疑惑の証拠(1)4人を殺害した小刀】
<高橋国明さん>
「ここの場所に置いてありました。今は何もありませんけど、ここの場所にありました。くり小刀がありました。『こんな危ないもの売っちゃだめだよ』とか『帰ったら親父に言っておけ』とか、さんざん言われました。かなり尾を引きました。学校行くと『凶器屋』とか言われましたから」
1966年、静岡県の旧清水市で一家4人が殺害された「袴田事件」。
袴田巖さんは厳しい取り調べの末、木工用のくり小刀で4人を殺害したと自白しました。被害者の体の刺し傷は4人あわせて40か所以上。しかし、刃先はわずか数ミリ欠けていただけでした。
<高橋国明さん>
「肋骨の切断や貫通といったようなですね、荒使いを大きく超えたような場合、ほぼ原形のまま残っていることは極めて不自然だということですね」
<高橋国明さん>
2014年取材
「あーん、ゴクン」
2023年に亡くなった高橋さんの母・みどりさんは、1967年の一審の裁判で「袴田さんの顔写真に見覚えがあった」と証言しました。
ところがー
<高橋みどりさん>
「私は、本当は見ていないんです」
高橋さんは母親が証言台から帰ってきた時の言葉が忘れられません。
<高橋国明さん>
「家に帰ってきた時に『終わった?』って聞いたら『証言の仕方って教えてくれるのね』って言ったもんですからね。何らかの誘導があったのかなと思ってならないんですね」
「嘘の証言をしてしまった」と、みどりさんは、亡くなるまで悔やんでいたといいます。
【疑惑の証拠(2)犯行経路の謎】
4人を殺害したとされた袴田さんの犯行経路にも不可解な点が指摘されてきました。
袴田さんの自白を元に作成した“犯行経路”です。
深夜、金を盗もうと屋根をつたい、中庭から家に侵入し、家の中を物色。それに気付いた専務に追いかけられ、裏口周辺で格闘になり、ナイフで殺害。
犯行を専務の妻に目撃され、追いかけたところ、2人の子どもが起きてきたため、次女、長男、妻の順にナイフで殺害し、裏口から逃走。その後、工場からガソリンを持ち出し、再び裏口から侵入。
倒れていた4人にガソリンをかけ、マッチで火を放ち、また裏口から工場に戻ったと主張しています。
袴田さんが3回にわたって通ったとされる裏口の木戸。検察は袴田さんが上の留め金が掛かった状態で、かんぬきを開け、下の留め金を外して戸の隙間から通り抜けたと指摘しました。
しかし、弁護団が同じ戸を作って再現してみるとー。
何度やっても上の留め金を壊さずに通ることはできませんでした。
警察による実験では、この写真から下の留め金だけを開け、戸を押し広げて通ることができたと主張しました。しかし、写真には肝心の上の留め金が映っていません。
【疑惑の証拠(3)2つの犯行着衣】
袴田さんは逮捕当時、パジャマで犯行に及んだと自白していました。
<録音テープ(取調官)>
「どういう格好して行ったんだ?」
<袴田巖さん>
「寝てるパジャマをそのまま着て、そのまま下へ降りて、ナイフはズボンに刺していった」
しかし、袴田さんが裁判で全面否認に転じたところ、事件から1年2か月後、現場近くのみそタンクから血まみれの衣類が見つかります。通称「5点の衣類」です。
検察はすぐに、犯行着衣をパジャマから袴田さんの自白とは異なる「5点の衣類」に変更しました。
疑惑を向けられた証拠の数々。検察は、今回のやり直し裁判でも「これらの証拠などから袴田さんが犯人ではない説明ができない」として死刑を求刑しています。
袴田事件の判決公判は9月26日午後2時から開かれます。
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