太平洋戦争末期、福岡市に拠点を置いていた旧日本陸軍がアメリカ軍の捕虜を処刑した「西部軍事件」。
処刑場に向かうアメリカ兵を見送った99歳の女性が福岡市にいます。
戦後79年たった今もアメリカ兵の表情が忘れられないと女性は訴え続けています。
B29の搭乗員・約30人を処刑した「西部軍事件」
福岡市博多区に住む福田コウさんは、毎年8月をやりきれない思いで迎えます。
福田コウさん(99)「終戦が嫌です。記念日が」
福田さんは、戦時中、福岡市に拠点を置いていた西部軍で、アメリカ軍機の飛来情報を司令部に伝える情報隊員として勤務していました。
戦況が悪化していた終戦間際、西部軍は墜落したアメリカ軍の爆撃機B29の搭乗員およそ40人を処刑。
これは「西部軍事件」と呼ばれ、後に処刑に関わった関係者が戦争犯罪人として裁かれました。
処刑場に向かう若いアメリカ兵の表情
1945年8月中旬、処刑場に向かうアメリカ兵の様子を確認するよう司令部から頼まれた福田さん。
その時に見た若いアメリカ兵の表情を今でも鮮明に覚えています。
福田コウさん(99)「4人の兵隊が捕まって足をくくられてたんですね。トラックの屋根のところにすがってね、不安そうにおろおろしてたんですよ、それがちょっと敵とは思いながらかわいそうだと思ったんですよね」
トラックを見送った後、福田さんは司令部からの電話で4人が処刑されることを知りました。
福田コウさん(99)「電話で油山で処刑すると言われました。終戦が来ると思い出して胸が痛かったです。無残に殺されたひとたちのことを思うとすっきりできないです」
油山観音にある4体の地蔵
福岡市城南区の油山観音には、西部軍事件の関係者が納めた4体の地蔵があります。
福田コウさん「またきましたよ」
福田さんは体力が許すかぎりこの場所を訪れ、地蔵に話しかけています。
「あったらいかんです、戦争は」
福田コウさん「涙が出ましたね、死なんでよかったのにね。あったらいかんです、戦争は。泣く人がいっぱいできるから」
尊い命が簡単に奪われる戦争。
79年たった今も心に傷を抱えた人たちがいることを私たちは忘れてはなりません。
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