サッカーJ3・松本山雅の運営会社の社長に小澤修一さんが就任しました。

小澤さんは44歳。

2005年から6年間、選手として松本山雅でプレーし、2022年から取締役を務めてきました。

株主総会と臨時取締役会を終えた24日、新社長しての決意を次のように語りました。

■代表取締役への就任が承認された。今の率直な気持ちは。

まずは本当に松本山雅という、歴史あるクラブの代表取締役社長ということで、本当に重責だと思っていますし、プレッシャーを感じているのが正直なところありますけども、自分自身たくさんの心強い仲間がおりますので、そういった仲間とともに一緒に頑張っていきたいなというふうに思っています。

■社長になるまでの経緯は。

ここ数年、やっぱりこれから先の未来を考えていくときに、どういう体制を、山雅を作っていこうかということはずっと議論をしてきました。それは私が取締役になった段階からずっと議論してきたことです。
年末にかけていろんなことが正直ありました。その中で次の代表を決めていこうという話になったときに、お話をいただいたということも事実としてあります。
ただやっぱり自分自身としては、即決することはできなくて、本当にこの決断がクラブの未来にとっていいことなのかっていうところが一番自分の中でポイントだったので、そういったところを常勤の役員含め関係の方といろいろコミュニケーションを取りながら、少しずつ覚悟を決めていったというような形になります。

■松本山雅の置かれている現状を、どう見ているか。

正直に言うと、かなり厳しい状況に置かれているということは認識をしています。ただやっぱりその中で、これから先の未来をどう作っていくかということがすごく重要だと思っていますので、今回の経営体制の変更というのは、そこに主眼を置いた。
本当にもう1回、“松本山雅というものを取り戻す”じゃないですけど、新しく山雅を作っていく体制変更になったかなと思っています。

■「厳しい状況」という言葉があったが、具体的にはどういったところを指すか。

(運営会社の)代表が変わることで、チームが急に強くなるということは正直なかなか難しいことなのかなと思ってます。
ただやっぱりチームを構築する体制だとか、マネジメントの方法だとか、そういったところは、自分たちもしっかり向き合ってやっていきたいなと思ってますので、やはり「地域に根ざしたクラブ」として、まずはクラブの力を強く付けていく。それによってチームが強くなるっていうこういう循環を生んでいきたいなというふうに思っております。

■社長として乗り越えなければならない課題は。

一番は、もう一度、地域から本当に応援されるクラブを作っていくということが、一番大事だと思っています。
その上で、おそらく結果というものがついてくると思うので、まずは自分たちに矢印を向けて、地域の方々と、どういうコミュニケーションを取っていけるかっていうところに自分としては主眼を置いていきたいなというふうに思っています。

■選手から始まり、アカデミーのコーチ・広報・営業などと様々な関わり方をしてきた。自分だからこそできること、見える景色は。

本当にいろんな立場でこのクラブに携わらせていただきました。応援していただいている方たちの力とか、その熱量みたいなものは、自分の中ですごく(感じているものが)ありますので、そういったものをどうやって地域に還元していくか、ということは考えてやっていきたいなと思っています。
あとは、立場が変わると見える景色も変わってくるので、正直に言うと、今の自分にどういう景色がこれから見えてくるのかというのは楽しみにもしていますし、また今まで携わった方たちの力とか、知恵とか、知見みたいなものをしっかり引き継ぎながら、新しく山雅を作っていきたいなと思っています。

■大切にしていることや、これから大切にしていきたいことは。

本当に(山雅の)創成期からずっと携わってきていて、このクラブが何のために存在してるかっていうのは、すごくいつも問いかけながら日々の過ごしている状況ではあります。
なので本当に、ただサッカー選手になりたいと思って来た若者が、この地域に育てられて、今本当にこの地域のために何ができるかということを一生懸命考えるようになっているので、そういった循環というものを、これから次の世代にも伝えていきたいと思ってますし、そういった人が増えることで、この地域がもっともっと盛り上がっていけばいいなというふうに思ってます。



■改めて松本・松本山雅の魅力に感じている部分は。

この信州という土地は本当に、県外から来た私にとっては魅力的な場所でもあります。それはロケーションもありますし、人の温かさもありますし、地域の熱量というものがやっぱり一番だと思ってるので、今の自分の思いとしては、この信州という地域を本当に、世界に発信していけるような、そんな橋渡しになれるようなサッカークラブに、スポーツクラブにしていきたいなというふうに思っています。
やっぱり簡単なことではないですけど、私が来た2005年には誰も(山雅が)Jリーグに行くってことを信じてくれる人は本当にいなかったんですけども、やっぱり信じて行動し続けることで、10年後にJ1で戦うチームが作ることができたので、本当に今は「信州から世界へ」という言葉がちょっと大げさに聞こえる方もいらっしゃるかもしれないですけど、やはりこのJ3という状況だからこそ、上を向いてそういった発信をすることで、やっぱりみんなでもう1回上を目指すんだというふうに自分自身も覚悟として言葉を発したいなというふうに思っています。

■これから社長として期待されることとは。

私自身、社長業としてできることというのは、まだまだ力不足で限られていると思っています。ただその分、そこをサポートしていただける仲間を迎え入れることができましたし、あとは自分に求められているのは、地域に出て行って地域の方々と対話をすることだというふうに思っているので、やっぱりどんどん外に出て行って、いろんなところでいろんな方といろんなお話をさせていただいて、みんなで山雅を使って地域を元気にしていくという作業をやっていければ、一番自分にとってはいいのかなというふうに思っています。

■まず着手していきたいこと、やっていきたいことは。

直近で、自分で大きく変えられることっていうのはなかなか難しいと思っているんですけども、やっぱり実直にいろんなものに向き合うことっていうのが自分の良さでもあると思っているので、まずは1個1個のやってること・事業に対して向き合うこともそうですし、また外に出て行って、ステークホルダーの皆さんとまずはいろんな会話をして、現状の山雅の立ち位置と、あとはこれからどうしていきたいかっていうのを地域の皆さんと一緒に考えるっていう時間に、まず当てたいなというふうに思っております。

■厳しい目を向けられることもある立場。

やっぱり大きな覚悟は必要だと思ってました。ただ、強くなるということと、地域を良くしていくこと、これはやはり同時にやっていかなければいけないと思ってるので、この掛け算をどうやって作るかっていうことがすごく重要だと思っています。
なので、本当に熱狂的に地域に応援されるクラブをつくることで、強さに繋がっていく。この掛け算をしっかり作っていきたいなというふうに思っています。

■今回、取締役の体制も大きく変わった。

まずは(今回取締役を退任した)創成期から携わってきた方々に対する、本当に尊敬と感謝の念っていうのを私自身強く持ち合わせています。
その上でやっぱりその方々から受け取ったバトンっていうのは、本当に重いと思っていて、なぜかというと、あの方々は、この地域のために本当に身を粉にして働いてきてくれた方々だったので、そういった感謝の思いだったりエネルギーっていうものを、やはり次の世代に繋げていきたいというのが今の私の思いなので、そこに関しては自分自身しっかり矢印を向けながらやっていきたいなというふうに思ってます。

■選手を経験した社長として、どういったクラブを作っていきたいか。

私自身トップチームのミーティングにも出させてもらっていますし、いろんなフットボールというものに触れる機会はあります。ただ私自身本当選手して大成できたわけでは全くないので、自分のサッカーの経験とか知見っていうものは、今のトップチームに生かせるものってのは本当に少ないと思ってます。
ただ、例えば今で言うと下條スポーツダイレクターと、どういうコミュニケーションを取れるかとか、現場がどういうマネジメントをしているかとか、今自分が経営として経験してきたことというのは、ある程度チームに還元できるものもあると思っているので、フットボールっていう意味では、そういったところの知見というものは少し生かしていきたいなというふうに思っています。

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