福島県浪江町の帰還困難区域、赤宇木地区のすべてを収録した「記録誌」が完成しました。「100年帰れない」と言われたふるさとの姿を未来へ。記録誌に込められた思いとは…。
4月21日、一冊の本が、赤宇木地区の住民に配られました。重さ3キロ、800ページ以上あるこの本のタイトルは、「百年後の子孫(こども)たちへ」。古代から震災の後に至るまで、赤宇木地区のすべてが記録されています。
記録誌を制作したうちの一人、今野義人さん(79)。19年間、赤宇木の区長を務め、退任しました。
今野義人さん「この本を見て、2代目、3代目(の子孫が)これを紐解いてみた時に、こういう部落があったんだ、我々の先祖のふるさとだったんだと思い返していただいて、いま一度赤宇木で生活してみたいなという気持ちになっていただきたい。それが夢ですね」
副区長とともに、2014年から住民への聞き取りや古い資料の収集を進め、ようやく完成にこぎつけました。
今野義人さん「子どもたちは自分が育てたんじゃなくて、隣近所の人たちに育てられたんだという感覚が(住民には)あったみたいで、それはすばらしいことだなって。そういう人間関係がつながってきた地域だったのかなと思いました」
完成まで10年 故郷の姿、記録誌に託して
震災直後からおととしまで、毎月、赤宇木にあるすべての住宅の放射線量を測定してきた今野さん。記録誌には、そのデータも収録されています。
完成までに10年。今野さんは、慣れない作業から体調を崩すこともありました。また、この間に、亡くなった人たちもいます。
今野さん「(赤宇木では)60有余の方たちが亡くなっちゃったんだよね。この原稿を出してくれた方も、聞き取りした方も、そこの中に含まれているんです。見たかったんだろうなって思うとね。その10年間の長い月日は申し訳なかったなって」
いまだに帰れないふるさと。将来が見通せない中で、かつての姿を記録誌に託さざるを得なかった地域が、いまも残っています。
※記録誌は非売品で、350部発行され、地域の住民などに順次配布されるほか、今後は赤宇木から避難した人がいる県内外の図書館などにも納められるということです。
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