誰もが目にしたことがある坂本龍馬の写真は「湿板(しっぱん)写真」という技法で撮られています。「日本写真術の開祖」と言われる上野彦馬(うえの・ひこま)が長崎に開いた写真館で撮影されました。この湿板写真をこのほど長崎市のカメラマンが現代に復活させました。デジタル全盛の時代によみがえった古くて新しい撮影技術、その挑戦を追いました。

■湿板写真をとる いとこ同士のカメラマン

日本では幕末から明治にかけて撮影された「湿板写真」。湿板写真の特徴は、画像がガラス板に写っていること。明るい部分ほど白く、暗い部分ほど透明になります。およそ100年前のカメラで湿板写真を撮っているのは、広告写真などの撮影を手がけるいとこ同士のカメラマン柴原啓一朗さんと柴原龍一さんです。150年前の技法にこだわって撮影しています。撮影では、被写体に数秒間じっとしてもらう必要があります。

(STUDIOK代表取締役 柴原啓一朗さん 49歳)

「(お客さんに)もらった秒数をこの中に閉じ込めて、またお客さんのもとに戻せるっていうのは、なんかこうめちゃめちゃロマンが詰まってるかな」

長崎市矢の平。5年前に龍一さんが開いた写真スタジオが、湿板写真撮影の拠点です。この日、訪れたのは昆虫が好きな兄弟。育てているカブトムシと一緒に撮影します。上下左右が逆転した像を見ながら画角や構図を決め、ピントを合わせます。
調合して作った専用の液をガラス板に塗り、画像を写す膜を作ります。ガラス板は、暗室で銀を含んだ液に浸すと光で化学変化を起こす性質に。光が当たらないようホルダーに入れカメラにセットします。光を数秒間入れてレンズの蓋を閉めれば撮影完了です。ガラス板が湿っているうちに取り出し、現像液をかけると…明暗が逆になった画像が現れます。それを、定着液につけると明暗が徐々に反転していきます。

■湿板写真に取り組むきっかけは

広告写真を撮影する2人が湿板写真に取り組むきっかけとなったのは4年前。コロナ禍で仕事が減り、以前から関心があった湿板写真にチャレンジすることを決めました。東京の専門店でカメラを購入し、湿板写真の技術をまとめた本を頼りに試すも、うまく写らず。光の種類や当てる時間などを試行錯誤すること2年あまり。初めてきれいに撮れた時のことは忘れられません。1861年創業の川添ガラス。上野彦馬もガラスを仕入れたかもしれないこちらの会社でガラス板を購入しています。

(川添硝子 代表取締役専務 川添浩司さん)

「デジタル全盛の時代にこうやって一枚しかない写真、しかもガラスに。もうほんと希少価値だと思いますし、その技術をずっと繋いでいこうとする彼らにはほんと敬服しています。ご協力できるというのはまたほんと嬉しく思います」

かつて上野彦馬の撮影局があった長崎市伊勢町。今回、ここで初めて風景写真に挑戦します。山の稜線を頼りに、150年前、彦馬が撮影した写真に近いアングルを目指します。湿板写真は、ガラス板に塗った液が乾かないうちに撮影・現像しなければならず、外での撮影は、時間との戦い!暗室のあるスタジオから15分圏内が限度です。撮影したら再び暗室へ急ぎます。現像してみないと出来がわからない難しさ。もやがかかったように白くなってしまいました。多い時は5~6回撮り直すこともあるとか。龍一さん、ひたすら待ち続けます。

(龍一さん)「どうしたらより良くなるかなぁとかそういうのを考えながら待っています」

(啓一朗さん)「できあがるまでめちゃめちゃ手間と時間がかかるんですけど、(撮影した湿板写真は)今後100年以上残っていく可能性が大きい。やっぱそこまで意識して撮影して準備して。ガラス一枚にこれだけ思い込められるっていうのは、普通のデジカメで撮る一枚とはちょっと重みがだいぶ違うかなと」

上野彦馬が撮影した写真と、150年の時を経て二人が撮った写真。国内に数点しか現存しない上野彦馬撮影のガラス原板も初めて見せてもらうことができました。夢や目標が、ますます膨らみます。

(啓一朗さん)「我々のライフワークとして、ここ(彦馬が撮影した場所)をまたずっと撮りに行くっていう」
(龍一さん)「展示もしたいなって思ってますし、こうやって見させて頂いて、もっとうまくなりたいなと思いながら」
150年の時を経て長崎に蘇った湿板写真。最高のタイムトリップを目指します。

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