新潟県長岡市の旧川口町で、地元産の「そば」がふるまわれました。
このそばは、20年前の中越地震が始まりです。

長岡市の山あいの川口地域の木沢集落に、今年もまた豊かな緑が顔を出しました。
心地よい風が吹き抜け、ゆったりと時間が流れています。

「景色・景観がいいのと、空気がいいから、それだけでも何でもおいしくなる」

人口減少の進む地域の存続をかけて、人を呼び込もうと模索する住民の思いを取材しました。

震度7が襲った 旧・川口町

2004年10月の中越地震では、地域全体で8割近くの住宅が全半壊し、6人が亡くなりました。

農家民宿「木沢ハウス」を営む平澤勝幸さん(73歳)の実家も被災し、元通りの生活に戻るまでに長い時間がかかったそうです。

「土砂崩れで木沢は孤立して、一週間くらい人が来られなかった。出入りができなくて。住民が重機を使ったりして、村の人だけで自ら道を開けて…」

138人だった人口が42人になったばかりか、高齢化率も74%と深刻です。

それでも平沢さんは下を向いてはいませんでした。

「人を呼び込む。人口が少なくなるから、少しでも出入りが多くなれば、また元気が戻るんじゃないかと思って」

もう一度この場所に元気を取り戻したい…。
その思いで地域の人たちが企画したのが、20日に開かれた『そばの会』です。

ふるまわれたのは、「手打ちそば」と木沢で採れた「山菜の天ぷら」。
内外から訪れた230人が、山のごちそうを味わいました。

【新潟市から】
「うまいね、おいしい。そばはいろいろ食べているけど、ちょっと違うね」
【新潟市から】
「素朴だけども、天ぷらがおいしいからそれにつられて余計にいっぱい食べた」【ベトナムから】
「きょう初めてそばを食べた。とってもおいしい」

「木沢そば」は、あえて歯ごたえを残した食感と、その香りが特長です。
川口地域では、主に木沢を含む3つの集落にそば打ちをする団体があり、『川口そばネット』としてつながりながら、種まきから販売までの全てを手がけています。

実は、その始まりとなったのも20年前の中越地震でした。

「ソバ栽培の1年目はさ、地震のあと稲が作れないから田んぼが『もったいないね』というので始まった」

稲作が盛んだった旧川口町地域では、最大震度7が襲った2004年の中越地震で多くの田んぼがひび割れ、農機具も壊れるなどの大きな打撃を受けました。

「コメが駄目なら、ソバの栽培はどうだろう?」

落ち込む農家にそう声を掛けたのが、災害ボランティアとして当時栃木県から来ていた青木秀子さん。
今も仲間とともに川口地域に足を運び、地元の人と交流を続けています。

「都会と違って中山間地域なので、地域のつながりが強いと思う。地域のみんなで助け合ってやっていこうという、気合や気持ちがあったからこそ、ここまできたのかなと。もう第二の故郷のような感じで、里帰りに来ているような気持ち…」

青木さんたちには、あちらこちらから「お帰り」の声が掛かりました。

「人の絆っていうのはさ、冷たいものばっかりじゃなくて。きょうのおそばも温かいのもあるけどそんな感じでいいと思う」
「やっぱりね、人間って一人では全くだめ。家族だけでもだめ。他人があたたかい言葉をかけてくれるというのが一番嬉しい」

中越地震をきっかけにうまれたソバをふるまう会場では、若いスタッフも積極的に来場者をもてなしていました。地震のときにはまだ幼かった世代。
イベントを運営する平澤勝幸さんは、こうした機会が「若者が地域を訪れてくれるきっかけになれば」と願っています。

【長岡技術科学大学大学院 山上由愛さん(22歳)】
「木沢集落は年上の人でもよくしゃべってくれるので、友達みたいな感じになっているかなと思う。すごくゆったりした時間が流れているのもいいなと思うし、普段大学とかで忙しいが、たまにここに来るのもすごく落ち着く」

【元・地域おこし協力隊 上田夏子さん(25歳)】
「“住む”ってなるとどうしても、距離的な問題とか気候の問題とかいろいろあるとは思うが、イベントでこうやって参加したりとかすると、その後もおそば食べに来たりとか、遊びに来たりとか、『ここの地域いいね、木沢いいね』ってなる子が多いと思う」

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