パリパラリンピック車いすラグビーの決勝で、日本は橋本勝也選手(福島県三春町出身)などの活躍でアメリカを下し、金メダルを獲得しました。3年前、東京で流した悔し涙はその3年後、うれし涙に変わりました。

車いすラグビー日本代表、チーム最年少で三春町出身の橋本勝也選手。日本時間の3日未明。金メダルをかけた決勝で、世界ランク2位のアメリカと対戦しました。

試合開始は、午前2時半。それでも橋本選手の地元・三春町では、役場職員や町民、およそ80人が声援を送りました。

三春町民「今日もまた頑張って優勝までこぎつけてほしい。橋本さん頑張れ!」

試合は序盤、アメリカがリードする苦しい展開となりますが、やはり、橋本選手が流れを変えます。第2ピリオドでは、橋本選手がトライを決め、日本が勝ち越します。

三春町民「勝也いけ!」

後半も橋本選手の勢いは止まりません。チーム最多の19得点をあげ、アメリカを突き放します。そして…。

悲願の金メダル 正真正銘エースとなった橋本選手

日本はアメリカを破り、悲願の金メダルに輝きました。

三春町民「(橋本選手は)三春の誇りです。本当に勇気、元気、全て与えてもらいました。本当にありがとう」

拍手を贈る町民

三春町民「彼の頑張っている姿を見てみんなも笑顔があふれると思う。これからも頑張ってほしい」

橋本勝也選手「東京パラリンピックの準決勝でイギリスに負けて悔し涙を流して、そういった今まで経験した負けが自分をここまで強くさせた。支えてくださった方々にも金メダルをかけて、一緒に喜びを分かち合いたい。ありがとうございました」

正真正銘「日本のエース」となった橋本選手は、三春町出身の22歳。先天性の四肢欠損で、幼い頃から車いすに乗って生活していました。

中学2年の時に車いすラグビーと出会い、始めてからわずか2年で日本代表に選ばれるまでになりました。そして、初のパラリンピックとなる前回の東京大会は銅メダルでしたが今回のパリでは、チームのエースとして悲願の金メダル獲得に貢献しました。

そんな橋本選手ですが、ここまで上り詰めるきっかけになったと話す、小学校時代の恩師がいます。

小学生の橋本選手を変えた一言

小学校時代に3年間、橋本選手の担任を務めた山崎恵子さん。山崎さんも、日本代表の快挙、橋本選手の活躍を喜んでいました。

山崎恵子さん「いやー素晴らしいですね。教え子ながら誇らしい」

橋本選手の快挙を喜ぶ山崎さん

橋本選手は、山崎さんから言われた『ある一言』が今に繋がっていると去年、話していました。

橋本選手(去年)「体育の授業の時に見学してようかなとしていたところで、山崎先生から『車いすから降りてできることはやろうよ』と。本当にその一言がすごく自分にとっては今に生きているのかなと思う」

山崎さんのおかげで、小学校の体育の授業はほとんど参加したという橋本選手。その後、中学生の時に車いすラグビーと出会い、始めてからわずか2年で日本代表に選ばれるまでになりました。

山崎恵子さん「子どものころから負けん気が強くて、悔しさをバネに頑張ることができる子でした」

小学校時代の橋本選手

そして今や世界の舞台で頂点に立った教え子の活躍に、山崎さんは目を細めます。

山崎恵子さん「素晴らしすぎて、遠い存在になった気もする」
井上和樹アナウンサー「何と言葉をかけたいですか?」
山崎恵子さん「おめでとう、感動をありがとう」

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