石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。
能登半島地震発生から8か月を迎えました。夏の盛りが過ぎ、夕方からは秋の虫の音が聞かれるようになってきました。ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載記事、第5回目です。
輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。
私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。
国道、県道を中心に復旧進む
7月、8月の記事で、道路の復旧状況をご紹介させていただきました。8月に入り、アスファルト復旧の他に、土砂崩れでの法面崩落箇所でも復旧が進んできております。
金蔵地区の県道は、5か所ある崩落箇所のうち、2か所で防護壁の設置がはじまりました。余震や大雨などでの崩落の危険性が去った訳ではありませんが、防護壁の設置が進むことで、これまでよりも安全に通れるようになりつつあります。
金蔵に続く川西地区の道路も、鈴屋地区に続いて、舗装がなされました。
同じく先月ご紹介させていただいた真久地区も、土砂崩れによる崩落の復旧工事が進みましたが、通行時にはまだまだ注意が必要です。
8月中旬、お盆の季節に合わせて町野町では、「緊急車両等・地区住民以外通り抜けできません」という看板が設置されました。
道路の復旧が進んではきましたが、多くの道路が本復旧前であることを忘れてはなりません。
また、復旧工事が行われているのは、県道や国道が主で、市道や私道はまだ砂利道や通行止めのままの状態が続いております。通行止めが続いている寺山地区でも、啓開のために切られた木が道路脇に積まれている様子が窺えます。これらの道が繋がらないことには、復旧を進めることさえできないのです。
公費解体が進む中、新たな倒壊や片付けの問題も
町野町では、7月から大通りを中心に、危険性の高い建物などの公費解体が進んでいます。依然新たな倒壊も続いていますが、電柱に食い込んでいて危険な状態であった家屋などの解体が行われ、少しずつ景色が変わりつつあります。
発災時から変わっていない場所もありますが、宿泊場所などの確保が難しく、能登の工事業者も全員被災しているというなかでも、発災当初の想定よりも早く復旧へ向けて進んでいます。
解体が進むにつれ、更地となった土地が目立つようになってきました。復旧から復興へ進む第一歩であると同時に、気持ちの整理が必要となる場面が増えてくるように感じています。
一方で、この夏から仮設住宅への入居が決まり、これまで日帰りでしか行えなかった片付けにようやく本格的に取りかかれるという方もいらっしゃいます。
町野町ではほとんどの家屋が全壊あるいは半壊のため、一般ボランティアの方にも頼めず、自分たちで片付けを進めるしかない方がほとんどです。
倒壊の危険を感じながら、発災から時間が止まったままの自宅を片付ける作業は、本当に途方もない作業です。
夏場の作業は、暑く、雨漏り箇所からカビが生えるなどして、衛生的にも不安があります。倒壊しているため、水道を使うこともできないのです。
それでも、日々仮設住宅から自宅の片付けに通いながらの作業が続けられています。季節は秋へと移りつつあり、台風による被害のニュースも増えてきました。
倒壊を免れた家も、補修が間に合わないまま、ブルーシートなどで応急修理がなされた状態です。台風や大雨の影響で、倒壊している家屋のさらなる倒壊も心配されますが、被災した自宅での生活を続けている方からは、家屋の傷みや補修箇所のさらなる破損などの不安の声もあがっています。
キリコと町野町の二つの祭り
8/12(月)、町野町では、「ふるさと五千人の祭典」が実施されました。例年では、粟蔵地区からのキリコがたてられ、キリコ渡行や「ねり」が披露されるところですが、今回は子どもキリコのみの渡行が行われました。
また、8/17(土)・8/18(日)の二日間、「曽々木大祭」が規模を縮小して実施されました。発災直後から現地に入り、継続的な支援を続けてくださっているNPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯りのみなさまのご協力を得て、クラウドファンディングが実施され、40名を越えるボランティアの方々が駆けつけてくださいました。
曽々木大祭では、10mを越える大キリコもたてられ、花火に合わせて地元のみなさまとボランティアのみなさま総出で担ぎ、ねる姿も披露されました。
町野町唯一のキリコ祭りがこうして無事に開催されたこと、本当に有り難く思っております。
曽々木地区の自治会長さんは、ボランティアのみなさまへのご挨拶のなかで、「これまでに経験のないような祭りでした。本当にありがとうございました」と、声を詰まらせて述べられていらっしゃいました。
ふるさと五千人の祭典と曽々木大祭、町野町を代表する二つのお祭りが開催出来たのは、たくさんの方々のご支援や、ボランティアのみなさまのお力添えのおかげです。
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