第2次世界大戦とロシアによるウクライナ侵攻。
79年の間に2度も、戦争に人生を翻弄された日本人男性が、この夏、両親の足跡を辿る旅に出ました。

 北海道旭川市に住む、降籏英捷(ふりはた・ひでかつ)さん80歳。手にしているのは、長野に向かう飛行機のチケットです。

旅の目的は、七夕の短冊にロシア語で、したためられていました。

 降籏英捷さん(80)
「“飛行機が無事に着いて、故郷の親戚と会えますように”って…」

1歳のとき樺太、いまのロシア・サハリンで終戦を迎えた降籏さん。

戦後の混乱で一家は、日本に引き揚げられず、両親は、祖国の地を再び踏めぬまま、その生涯を終えました。

 降籏さんが向かったのは、両親のふるさと、長野県安曇野市です。

 降籏英捷さん(80)
「ここに書いてある」

伯父の孫・小川祐治さん
「降籏栄一。利勝さんのお父さん。だから英捷さんのおじいちゃん」

 降籏さんは結婚後、妻の故郷のウクライナに移住。しかし、ロシア軍の侵攻を受け、永住帰国していた妹たちを頼り、旭川市にやってきました。

 2度の戦争に翻弄されながら、80年の人生で初めて訪れた、両親のふるさとです。

両親がきょうだいにあてた手紙が残されていました。

 両親からの手紙(1957年)
「便りが最高の喜びです。子どもまで、『日本から手紙が来た』と言って、躍り上がって喜んだものです」

その“喜んだ子どもたち”というのが、降籏英捷さんです。

両親からの手紙(1957年)
「いずれ日本に帰れる日を待って、いの一番、皆さんとお会いすることを楽しみにしています」

降籏英捷さん(80)
「子どものころは、手紙の内容に興味がなかったので、今回、両親の思いを知ることができてうれししかった」

 「今後も、いとこや親戚と連絡を取りたい」

79年の時を経て、一つのつながりを取り戻した降籏さん。ウクライナで続く戦争が、1日も早く終わることを願っています。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。