戦前から戦後にかけて高千穂町で夢を追いながら力強く生きた女性、興梠千穂さん(1897年~1978年)。晩年は高千穂の山で金を掘るなど、地元の人から「金掘りおばあさん」と呼ばれていた千穂さん。どんな女性だったのか、ゆかりの地や関係者を取材しました。

高千穂町の山の中 20年以上に渡って金を掘り続けた

(1976年当時の映像)
ハンマーを岩に叩きつける女性。興梠千穂(当時80歳)です。

(記者)
「この鉄の棒で掘ってらっしゃるんでしょ?重いでしょ?この鉄は」
(興梠千穂さん)
「重いですよ」
(記者)
「何貫くらいでしょうか?」
(興梠千穂さん)
「さあ、どのくらいですかな」

場所は高千穂町の山の中。
千穂は20年以上に渡って金を掘り続けました。

(記者)
「寂しくないですか?」
(興梠千穂さん)
「人間はね意志が強かったら、寂しいなんか考えた人間は仕事はできないですよ」

戦前から戦後にかけての激動の時代に夢を追い続けながら力強く生きた千穂。
その半生を追います。

1945年8月 B-29が高千穂町に墜落 事故の報告書に「Chiho Korogi」

郷土史の研究をしている工藤 寛さん。

自身が生まれた高千穂町の歴史を調べていたところ、ある女性の名前が浮かび上がってきました。

(郷土史研究家 工藤 寛 さん)
「ここにChihoKorogi、ここにもKorogi」

1945年8月30日、アメリカ軍の爆撃機B-29が、高千穂町の親父山に墜落。その事故の報告書に「Chiho Korogi」の文字が記されていました。

(報告書の英訳)「調査チームはChiho Korogiという女性に会い質問した」

報告書に何度も出てくる「興梠千穂」とは、どのような女性なのか。
気になった工藤さんは取材を始め、本を執筆しました。

戦犯に指名された知人の助命をマッカーサーに直訴

千穂はB-29が墜落した現場にあった物品の一部を保管していることをアメリカ軍に伝え、その後、進駐軍との関係を深めていきました。

飼育していた牛のうち75頭分の肉をアメリカ兵にふるまったというエピソードも残されています。

そして、なんと、あのマッカーサーにも直接会い、戦犯に指名された知人の命を助けてもらおうと直訴したというのです。

(郷土史研究家 工藤 寛さん)
「戦勝国のアメリカの進駐軍とコンタクトが取れるというのはどんな女性だったのかなと思って、チャレンジ精神、行動力というのには脱帽する以外ないですね」

製材所に牧場や旅館も経営 男顔負けの働き手で経営者

千穂ゆかりの地を工藤さんと訪ねました。

(郷土史研究家 工藤 寛さん)
「ここは千穂さんが若い時に経営していた製材所とか飯場の跡ですね、この辺が、この一帯が」

宮崎県と熊本県にまたがる祖母山の中腹にある一の鳥居。ここに千穂が営んでいた製材所があったといいます。

このほか、千穂は牧場や旅館も経営し、財をなしていきました。

(郷土史研究家 工藤 寛さん)
「男顔負けの働き手でもあったし、経営者でもあったんでしょうね。キャリアウーマンと言ってもレベルが違ったんじゃないでしょうか」

その後、千穂は、ある壮大な計画を打ち立てます。

(郷土史研究家 工藤 寛さん)
「終戦後の大混乱の時期に新しい日本を作ると、その中で理想的な農村地帯を作るという構想を練ってまして」

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