「原爆の日」に毎年、慰霊碑に納められる死没者名簿の記帳を40年近く続けた被爆者の池亀和子さんが亡くなりました。82歳でした。
池亀和子さんは16日未明、胃がんのため亡くなりました。82歳でした。
池亀さんは3歳のとき、西区観音で被爆し、戦後は、広島市の職員となりました。
原爆死没者名簿の記帳は代々、被爆者の広島市職員が受け持っていて、習字が得意だった池亀さんは1985年、43歳のときに初めて担当しました。以来、40年近く記帳を続け、これまでに記した被爆者の名前はおよそ10万人にのぼります。
ことしは体調を崩して、一時、入院しましたが、病室に名簿を持ち込み、5日に全ての記帳を終えたばかりでした。
池亀和子さん(5日)
「安心しました。私は原爆に対していろんなことはできないし、ああこれでやっとすんだという気持ちはあります」
家族によりますと、ことしの式典は、自宅でテレビを見ながら名簿が奉納されたことを見届けたということです。
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