終戦から79年、平和について考えます。
終戦時、小学6年生だった宮崎市の画家の男性が当時の出来事をつづった冊子を制作しました。
男性が伝えたい思いとは。

記録というものがない。だから、これは描いておかないといけない

(森山修さん)
「これは爆弾が落ちた時の防空壕の中の様子」

宮崎市の画家、森山修さん(90歳)。

森山さんは、20年ほど前から戦時中の様子を描いて個展を開いたり、小学校に作品を寄贈したりして平和の大切さを伝える活動を続けてきました。

(画家 森山修さん)
「記録というものがない。だから、これは描いておかないといけないのかなと、記憶があるうちに」

婦人会の防火訓練、即席の防空壕…当時の生活を文章と絵で

こうした中、絵だけでは伝わらないこともあると、今年5月、「戦禍に惑う小学生のころ」と題した小冊子を作りました。

(冊子より)
「学校では勉強の時間が少しずつ削られるようになり、体操、音楽、図画の時間が留守家族、農家への支援作業へと変わっていきました」

つづられているのは当時、小学生だった森山さんに刻まれた戦争の記憶。そして、イラストです。

婦人会の防火訓練、それに橘通りに掘られた即席の防空壕…
当時の生活を文章と絵で伝えています。

1945年5月11日

そして、1945年5月11日。

(森山修さん)
「ブーとサイレンが鳴って、母親と妹が避難した」

アメリカ軍の空襲が小学6年生の森山さんを襲いました。

(冊子より)
「近所に爆弾が落下したらしく大慌てで家の陰に隠れました。(中略)時をみて近所の壕に飛び込む。危機一髪でした」

斜め向かいの家の防空壕に逃げ込むと

当時、森山さんの自宅があった場所を案内してもらいました。

(森山さん)
「ちょうどこの辺り・・・」

宮崎市広島の別府街区公園。ここに森山さんの自宅がありました。
森山さんが斜め向かいの家の防空壕に逃げ込むと、そこには近所の人たちが避難していました。

(冊子より)
「壕の中では小さい子供たちが一斉に泣き出すと同時に近所の小母さんたちが大声で神様、仏様、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と大きな声で祈りはじめました。(中略)壕の中では天井の隙間から落ちてくる砂とほこりで目も開けられず、呼吸もしづらいのでタオルを口と鼻に当てていた」

(森山修さん)
「爆弾とあの振動は怖かったですけれども、しっかりしないとという気持ちの方が強かったんじゃないでしょうか」

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。