「幻の古陶」と呼ばれた珠洲焼の復興に尽力した、石川県珠洲市の作家中山達磨(たつま)さん(72)が、能登半島地震で被害を受け、金沢市などで制作を続ける道を模索している。  拠点がなかなか見つからず再開の見通しは立たないが、「俺はどこにおってもやる」と、思い入れのある製法を守り続けていくつもりだ。(高橋雪花)

 珠洲焼 12〜15世紀(平安時代末期—室町時代後期)にかけ、現在の石川県珠洲市周辺で生産された焼き物。古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器をルーツとする。500年途絶えた後、考古学調査を経て1961(昭和36)年に「珠洲焼」と命名された。高温の窯で酸欠状態にして仕上げることで灰黒色となる。県指定伝統的工芸品。

◆レンガを積んだ窯また被災

 約4000のレンガを自ら積んで造った窯は元日の地震でまた崩れた。2022年6月の最大震度6弱、昨年5月の6強の地震でも被災。崩れた部分を積み直したが再び崩れ、2022年から火入れできていない。自宅も全壊し、ぐいのみやつぼなどの作品3000点ほどが割れた。  「また窯を造ってつぶされたんじゃ、もう自分がつぶれてしまう」。珠洲で作品を作り続けたかったが、場所を移して再起することを決めた。

地震で割れずに残った壺に寄り添う中山達磨さん=金沢市東山の高木糀商店で

 九谷焼を学んでいた20代の頃、美術館で珠洲焼に出合った。15世紀に途絶えた真っ黒なその姿は「衝撃だった」という。その後、復興の機運があることを知り、現地入り。新設された珠洲市陶芸センターで、古い窯跡を参考にレンガで窯を造った。窯跡周辺で集めた粘土を材料に、出土した珠洲焼と見比べながらゼロから作陶。1982年には自身の飯塚(いいづか)窯を開き、野趣あふれる作品を生み続けてきた。

◆場所を変え制作の道模索するも難題

 被災者となった今は、金沢市のみなし仮設に身を寄せる。制作は全くできず、収入もほぼない。1月から新たな窯を造る場所を探し始め、知人のつてを頼りに同県小松市、津幡町などの山あいを30カ所回ったが、立地や金銭面で折り合わなかった。  やっと見つかった金沢市の山間部にある候補地も、都市計画上、窯を新設するのが難しい区域と分かり、先行きは不透明だ。次々と壁が立ちはだかるが、「俺はどこにおっても作るよ。単純に、この黒い焼き物が好きだから」。再来年までには火入れしたいと切望している。 ◇  ◇

◆市内の18窯は全て損壊

 珠洲市産業振興課によると、市内の珠洲焼の窯18カ所は、地震で全て倒壊または損壊した。レンガ積みの窯は揺れで崩れやすい。ガス窯も、配管が損傷したり窯を置く建物が被害を受けたりした。  昨年5月の地震では作品約5000点が壊れ、被害総額は約7000万円にのぼった。今回の地震による被害規模は算出していないが、大規模な損失が見込まれる。  作家からは「窯を直す前に生活再建しなければ」という声も聞かれるという。担当者は、市陶芸センターにある共用の窯を修復するなど「皆さんがなんとか早めに制作を再開できるよう動いている」と話した。 

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