「被爆者」ではなく「被爆体験者」とされている人たちが9日、初めて総理大臣と面会し直接「被爆者」への認定を求めます。

「被爆体験者」は国が2002年に作り出した分類です。原爆が落とされた時、爆心地から半径12キロ圏内にいたものの、東西およそ7.5キロ、南北12キロの縦に細長い「被爆地域」に含まれていない場所にいた人たちを指します。

長崎原爆の被爆地域は、旧長崎市の行政区分で線引きされています。「原爆放射能の影響が認められる最大5キロを基本に、市内で不公平感が生じないよう線引きした」とされています。

国は被爆地域の外には原爆の放射能は届いていない、「放射能による健康影響はないので安心するように」呼びかける一方、いびつな被爆地域の線引きに対する相次ぐ抗議を受けて、半径12キロ圏内にいた人たちには被爆体験の「トラウマ」による健康影響を認める「被爆体験者」制度を作り出しました。

被爆者ではなく「精神疾患者」

被爆の影響を否定し、さらに精神疾患とする「被爆体験者」制度。当事者たちは「原爆投下後に降ってきた雨や灰を浴びて体がおかしくなった。自分達も被爆している」と訴え続けています。

2007年には最大550人が、手帳を交付する長崎市・長崎県を相手に裁判を起こしました。しかし、放射能と健康影響の因果関係が証明されないなどの理由ですべて最高裁で敗訴。そのうち44人は再提訴で裁判を続けています。

被爆体験者訴訟の原告団長を務める岩永千代子さんは、9日に行われる総理との面会の席で、体験者が当時大量の灰や黒い雨を浴び、脱毛・鼻血・下痢等の症状が出たことを、体験者自身が描いた絵を示しながら訴える予定です。

第二次全国被爆体験者協議会 岩永千代子会長:
「あー広島と同じだなって多分思うと思うよ。腹の膨れた絵を見て。そこに心を私は動いてくださるという少しの期待がありますね、ある」

広島の黒い雨は認められたー被爆地の格差

広島では2021年、被爆者援護対象区域の外で雨を浴びた84人全員を被爆者と認める判決が出たことを機に、被爆地域の線引きとは関係なく「黒い雨」被害者を救済する「新基準」が作られ、2022年度から運用されています。

広島の被爆地は実質6倍以上に広がり、遠くは40キロにいた人までおよそ6千人が新たに「被爆者」と認められました。

4歳だった原告・松尾榮知子さんは、爆心地から8キロで友達と遊んでいた時、爆風に襲われました。

被爆体験者 松尾榮千子さん:
「市内からのごみが飛んでくるんですから。ピンポン玉位の石もぴょんぴょん飛んできましたから。しんこちゃんは4年後に白血病で亡くなりました。白血病はあんまり多いもんだから『流行病』っていいよったんです」

母親も12年後に「骨肉腫」で死亡。松尾さん自身も皮膚癌が8回、乳がんも3回と癌を繰り返しています。

松田宗吾さんとムツエさん夫婦は、爆心地から8.5キロの高台にいて「灰が大雪の様に降り続いた」と証言しています。

被爆体験者 松田宗伍さん:
「もう雪の降るごと灰は空暗くなるように降ってきたんです。急にお日様もぼんやりなってしもうて」

被爆体験者 松田ムツエさん:
「もう大雪みたいに降ってきたから真っ黒く。それをみんな手でうけたりなんかして喜んだごとして遊んでおりましたけどね」

大量の灰の中には、おはじきやお金も混じっていて、子供たちは喜んで追いかけたと言います。「灰は肥料になる」と集めては畑にまき、灰の浮いた井戸水で生活していました。

原爆で拡散した放射性微粒子によって被爆したと訴えてきた「被爆体験者」。ようやく実現する総理大臣との面会が、救済へとつながるのか?総理の発言が注目されます。

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