◆ポーズに込めた思い、制作過程伝わる貴重な資料
財団によると、北村は1950年に長崎市から記念碑制作を依頼され、北区内の自宅兼アトリエで構想を練り始めた。見つかった資料のうちスクラップブックは表紙に「平和像(1)」とあり、1950~53年のスケッチや試作像の写真、新聞記事などを収めている。左右逆の案のスケッチなどが保存されたスクラップブック
大きく脚を開き、相撲の四股(しこ)を踏むように立つ像のスケッチや、像の大きさを現物の9.7メートルより大きい約12メートルとする案、左右が逆となったスケッチの写真などが貼られていた。試作像の一部の写真の周囲には、腕の位置をもっと上げることや、顔を少し上向きに修正することなどを模索したメモが書き込まれていた。スクラップブックに残された、立像のイメージのスケッチ=7日、東京都北区西ケ原の(仮称)彫刻アトリエ館で(いずれも鈴木里奈撮影)
1945~50年ごろに記したとみられる雑記帳も見つかった。政治的イデオロギーに惑わされることのない「右でも左でもない」像にしたいとの思いや、人間の力では平和を実現できなかったことから「人間的なものから非人間的なものへ そしてさらに超人間的なものへ」との考えをつづり、制作を巡る思索が、手書きの文字から読み取れる。新たに見つかった雑記帳とスクラップブック
北村は長崎県出身。1916~53年に北区に住み、同区西ケ原にアトリエを構えた。遺族が2002年にアトリエと作品などを区に寄贈。彫刻類以外の資料の整理は手付かずの状態が続き、近年になって財団が調査を進めていた。試行錯誤する制作過程がわかる写真
北村の彫刻を展示する井の頭自然文化園(東京都武蔵野市)で学芸員を務めた彫刻研究家の土方浦歌さんは「北村西望がシンプルに平和を願い、中道のイメージで祈念像をつくったことが初めて分かる貴重な資料」と評価した。実際の9.7メートルよりも大きな像とする案
資料は、アトリエを利用した区内の「(仮称)彫刻アトリエ館」で9月に開く、西望生誕140周年記念イベントで初公開する予定。財団の種井丈さんは「世界で紛争が続く今、改めて平和に意識を向けるきっかけになれば」と話す。北村西望(きたむら・せいぼう) 1884~1987年。長崎県生まれ。長崎の「平和祈念像」などで知られる彫塑家。東京美術学校(現東京芸術大)を首席で卒業。1916年から37年間、東京都北区に居住。1925年に帝国美術院(現日本芸術院)会員となり、1958年に文化勲章を受章し、文化功労者に選ばれた。日展会長、北区美術会名誉会長などを歴任。北区名誉区民。
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