パリオリンピック™の自転車トラック種目で男子チームスプリントの予選に出場し、日本新記録のタイムで予選を4位通過を決めた青森県階上町出身の小原佑太選手。

そんな小原選手が競技を始めたのは高校入学後でした。自他ともに認める「運動音痴」は、自転車競技に出会い人生がかわりました。

食事をとらないで、倒れるまで競技にのめり込み、つかんだ初のオリンピック。父親とロス銅メダリストの話から小原選手を紐解きます―。

「運動音痴」「本当に小さくて細くて…」父が語る 小原選手の幼少期

提供:小原選手の父・修二さん

実況音声
「小原は最後までスピードが維持できる!直線コースタイムは42秒174!日本記録を超えるタイムが出ました!」

パリオリンピックの初戦で、日本記録を更新した小原佑太選手。この試合を会場から見守ったのが父・修二さんです。

小原選手の父・修二さん
「スポーツには全然向いていないと思いましたね。運動音痴。小さかったんですよ、小学校の時は。前から1番小さいか、2番目か。本当に小さくて細くて…。飯食わないんだよ本当に―」

サッカーや野球、スケートに取り組みましたが続かなかった幼少期。しかし、高校から自転車競技を始めて、みるみるうちに変わっていった姿が修二さんの印象に残っています。

『お父さん、息子さんにご飯食べさせてますか』食事もとらずに練習

小原選手の父・修二さん
「笑い話なんだけど、部活練習していて部室で倒れたんです。口から泡を吹いて。診察してもらって出てきたら看護師さんに『お父さん、息子さんにご飯食べさせてますか』て言われて。飯食わないで練習しているもんだから…」

小原選手も、八戸工大一高校で自転車競技を始めたことが転機だったと振り返ります。

小原佑太選手
「僕自身中学生まで引っ込み思案で、何をするにも3日で飽きるような子だった。それが自転車に出会ってから人生が変わった」

提供:小原選手の父・修二さん

人生を変える競技との出会い―。大学時代に選手生命を脅かす大けがをしても、投げ出すことはありませんでした。

「涙垂らしてよくここまでやったなと話したいよ、本当は」父の想い

小原選手の父・修二さん
「やめたいという言葉はぜんぜん出てこなかったです。正直言って、涙垂らしてよくここまでやったなと話したいよ、本当は。よくここまで頑張ったなって」

努力の末に手にした“オリンピックの切符”。この種目での出場は青森県勢40年ぶり。ロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得した坂本勉さん以来です。

ロサンゼルス五輪 銅メダリスト 坂本勉さん
「プレッシャーに打ち勝つしかないし、自分の場合はメダルは期待されてなかった。その分気軽で行ったのが良かった」

坂本さんをはじめ、青森県は過去6人のオリンピアンを輩出した“自転車王国”です。一方で近年は低迷が続いていて、坂本さんは小原選手の活躍が県内での競技普及と強化につながると信じています。

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