原爆が投下されて2か月後の広島を撮影した写したフィルムに写る「おんぶされた男の子」。2022年に「この男の子は私」と名乗り出たのは、広島県呉市に住む竹本秀雄さん(82)です。あれから2年、被爆証言をする機会も増えました。竹本さんが伝えるのは、家族の物語です。

1945年8月6日午前8時15分、人類史上初めて原子爆弾が人の頭の上に落とされました。

当時3歳。自宅にいた竹本さんは、骨が見えるほど左のほほに深い傷を負いました。さらに、建物の下敷きにもなりました。そのとき、当時11歳だった兄の定男さんが見つけてくれたといいます。

竹本秀雄さん
「『秀雄がここにおる』と兄が見つけてくれた。その後、自宅は焼けてしまったので、兄が見つけてくれなかったら、私は生きていなかったと思う」

定男さんは、24歳のとき、交通事故で亡くなりました。「あんちゃん、ありがとうね」。竹本さんは毎日、仏壇に手を合わせています。

当時13歳の姉は両親と再会した翌日に…

ことし7月、東広島市で開かれた原爆展に竹本さんの姿がありました。ここは2年前、竹本さんが初めて被爆証言をした場所です。

この日、10歳離れた姉の長女・君江さんの話をしました。当時13歳で中学生だった君江さんは、建物疎開作業中に被爆。その後の足取りが分かりませんでした。

竹本秀雄さん
「学徒動員の姉は行方不明のままだった。それがある日、『君江さんは、似島へ収容されとる』という情報が入ったんです。いつ聞いたのかは私は知りません。ただ、両親が似島に行ったのは29日。原爆から23日経っているんです」

両親が似島に着き、収容所で君江さんを探しているときでした。

被爆証言をする竹本秀雄さん

竹本秀雄さん
「突然、向こうから『お父ちゃん、お母ちゃん』って声が聞こえたんですって。それが姉だったんです。だから、待っとったんでしょうね。親を」

家族と再会を果たした君江さんでしたが、その翌日の30日、13歳という若さで亡くなりました。

竹本秀雄さん
「日本の終戦は8月15日。だけど私は決してそう思いません。うちでは、終戦は8月30日だと思っている」

「人を好きになって」子どもたちに伝えたいこと

「おんぶされた男の子」と名乗り出てから2年。被爆証言をする機会も増えました。記憶を補うため、5つ離れた次女の姉に、あの日の状況を聞くようになりました。

竹本秀雄さん
「この2年で聞いたことがたくさんあります。姉も泣きながら話してくれます。お互い年寄りだから『会っておこうね』って言っている。それで、姉から聞いた話と結びつけて、自分の物語にしている」

竹本さんは、証言を聞きに来た子どもたちに、いつも伝えることがあります。

竹本秀雄さん
「人を憎むから戦争になるんだと思います。人を好きになって、友だちになれば、友だち同士戦争しませんもんね。だから『ありがとう』『すごいね、いいね』って褒めて『ご苦労様』って労える。それができる子どもになりましょうね」

証言を聞いた高校2年生
「被爆者の方が心を込めて、涙ぐんで話されている姿を見て、原爆が本当にあったということが実感できた」
中学2年生
「体験した人から話を聞けたことが、とても心に響いたので、自分の心に響いたことを一つでも、友だちに伝えていきたい」

広島は6日、79回目の原爆の日を迎えました。記憶の風化が懸念されているなか、竹本さんはこれからも証言を続けていきます。

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