来年、2025年は戦後80年という節目の年です。戦争体験者が年々減り、多くの資料や戦争の遺品が失われることが懸念されるなか、富山市の藤井市長は2日の記者会見で、富山大空襲の事実を被災した物を通して現物を見て考えていくというのは非常に大事だと述べました。

これは2日に行われた富山市長の定例会見で、富山大空襲の遺品や資料を残す常設展示についてどのように考えているのか問われ答えたものです

このなかで藤井市長は、富山大空襲や戦争に関する常設展示施設を設ける予定はあるのか問われ次のように答えました。

富山市 藤井裕久市長「空襲や戦争に関する遺品あるいは資料等につきましては、令和2年度に開設いたしましたホームページ「富山大空襲の記憶」においてデジタルアーカイブ化したものを記載しています。遺品等の資料は富山大空襲の惨状を示す大変貴重な資料でもあるので、時間や場所を問わずにご覧いただけることが非常に重要であると考えております。今後も遺品等の提供を募りまして、引き続きホームページに記載したいと考えております」

藤井市長はこのように述べ、今のところ遺品や資料などの常設展示施設の設置は考えていない考えを示しました。

富山市では、富山大空襲の記憶を未来に語り継ぐため空襲体験者のインタビューや戦禍をくぐり抜けた遺品をホームページ「富山大空襲の記憶」で公開しています。

ホームページでは防空頭巾や焼夷弾、空襲警報や警戒警報が発令された際に掲示される防空警報掛札などの遺品の画像が、所有者の氏名や当時の状況とともに紹介されています。

また富山市は、毎年8月1日に「富山市民感謝と誓いのつどい」を開き、平和への誓いを新たにするほか、空襲当時の様子や遺品などの写真パネルも展示しています。

デジタル上で残すか、遺品で残すのか…

デジタル上でのアーカイブ化が進む富山大空襲の遺品や資料。しかし、遺品や資料の現物を実際に見たり、触れたりできる場所はありません。

戦争の悲惨さを後世に伝えるために、「遺品」が持つ意味について市長はどのように考えているのでしょうか…。

記者「富山大空襲の遺品や資料に関してオンラインでデジタル上で展示されているということですが、資料で提供されたものを実際に目でみるのと、インターネット上で見るのとでは、違いもあると思うのですが見解を教えてください」

藤井市長「まさに、実物を見るというのは百聞は一見に如かずで、画面で見ると違うんですね。今、おしゃる通り、実物をみるというのは私も非常に大事だという風に思っています。これは大前提にあります。先の大戦の記憶をしっかりと後世に伝えていくというのは我々の使命。特に富山大空襲においては、市街地の99.5%の焦土になったわけでございますので、しかも、人口あたりの死者数や負傷者数が、地方都市としては最大だったということもありますし、こういう事実が79年前にあったということをやっぱり物を、現存したその時の被災した物を通して、現物を見て考えていくというのは非常に大事だという風に考えています」

藤井市長は、現物を見るのは百聞は一見に如かずで非常に大事という考えを示したうえで、当時、富山市の中心市街地に住んでいた自身の父から語り継いだ富山大空襲についてのべました。

藤井市長「私の戦争体験というのは私の父親が中心市街地に住んでいた。西四十物町(にしあいもんちょう)ですね。その父親が私の今、藤井という家に養子というか来ていて、その実家がですね。西四十物町だったと。そこが焼けたんですね。おじいちゃん、おばあちゃんは無事だったわけですけれども、西田地方小学校の同級生の家だとか、知り合いのおじちゃんおばちゃんの家だとか、含めて周り中、焼け野原になったわけですね。農家でしたので、うちの父親はリュックサックにいっぱいおにぎりを作ってもらって実家に向かったわけですね。数日後、そうするとそういう状況があったと…。家に辿りつく前に知り合いだとか友達がいて、おにぎり一個一個配りながら行ったら、実家に行ったらリュックのなかは空っぽになっていたというのが、父親は常にですねそんな話をよくしてくれました。そういうのは、生の戦争の、自分にとっては体験ですし、体験なんだろうなと。こういうことを語り継いでいくということは非常に大事なんだろうなという風に思っています」

戦争体験の「記憶」について語り継ぐことの大切さを感じてるという藤井市長。大空襲の当時の悲惨さを今に残す遺品や資料などの「物」についても同様のことがいえるとの考えを示しました。

藤井市長「それは物に対しても一緒です。ネット上で今やってますけど、それは実物を展示するということに関して、その意味は十分に私も認識しておりますので、しっかりと色んな方の意見を聞きながら、議論をしていきたいなという風にも考えております」

記者「現物を見られるような場所については、意見も踏まえながら前向きにという形でいいんでしょうか?」

藤井市長「現物の展示も踏まえて、今後、いろんな人の意見を聞いて議論してまいりたいということです。戦火を通り抜けてきたその物、あるいはその語り継ぎも含めて、ネット上で発信する場合と違って非常に違うものが、やっぱり後世に伝えられると思いますので、私は大切なものであるなと考えております」

遺品などの展示について、色々な人から意見を聞いて議論をしていきたいとの考えを示した藤井市長。

藤井市長の元には様々な団体や個人から富山大空襲の常設展示を求める声が届いているといいます。

藤井市長「語り継ぐ会の方々の団体であるだとか、いくつか個人的な要望もございますし、富山市民の中では、やっぱり空襲に、ご実家が空襲にあわれたとか、ご親族をあるいは祖先様を空襲で亡くされたという方は非常に多いわけですね。そのときのことをしっかりとのちの子どもたちにも伝えていきたいという思いが非常に強いわけであります。そういう要望は団体のみならず、いろんな市民の方々から、役所に対してもそうでありますし、私個人に対してもそうでありますし、そういう要望は寄せられております」

富山大空襲から80年を前に、実際に戦争を経験した人が減少していくなかでどのように後世に戦争の悲惨さや平和の大切さを語り継いでいくのか。議論が続いています。

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