「警察を指導する」
この言葉からは、今回の出来事の重みが感じられた。
あの大雨から1週間が経った8月1日。東京で行われた、松村祥史 国家公安委員長が会見で述べた一言だ。
7月25日から降った大雨で、山形県内では大きな被害が出ている。家屋の全壊が6棟となってはいるが、浸水被害などは調査中のところも多く、実態はつかめていない。
※画像 水没する戸沢村蔵岡地区
※画像 26日の戸沢村役場
「今求められるのは、一刻も早い激甚災害の指定」との趣旨の発言を、山形県の吉村知事がしている。
犠牲者も出た。救助要請を受けた警察官2人が、殉職したのだ。
松村国家公安委員長の言葉は、この件に関するものだった。
■何があったのか
殉職したのは、新庄警察署の玉谷凌太(たまやりょうた)警部補(巡査長から2階級昇任)26歳。
そして、新庄警察署の佐藤颯哉(さとうそうや)警部(巡査部長から2階級昇任)29歳の2人。
2人は、大雨の夜の勤務で命を落とした。
2人が乗っていたパトカーは、転覆した状態で見つかる。その衝撃の映像は、全国を駆け巡った。
パトカーのそばに、2人の姿はなく、その後の捜索で発見されるも2人とも死亡が確認された。
※画像 26日のパトカー発見現場
壮絶な状況だったことが想像されるが、あの夜に何があったのか。
そして何を今後の糧にすべきなのだろうか。
■壮絶な夜を振り返る
経験のない大雨だった。
7月25日、山形県内は記録的な大雨に襲われ、庄内地方と最上地方のいたるところで道路が冠水、住宅などが浸水するなどの被害が出始めていた。
佐藤警部と玉谷警部補は、2人でパトカーに乗り、新庄警察署の管内を流動警戒、つまりパトロールしていた。
そんな中、午後11時23分、1本の110番通報が入る。
一般の人からの救助要請だった。
警察署から連絡を受け現場に急行したのが、佐藤警部と玉谷警部補の乗るパトカーだった。
パトカーは先発する。
現場は、浸水が想定される地域。
警察の規定にはなかったが、ライフジャケットが必要だと考え、署はライフジャケットを積んだ車両、ワンボックスタイプの事故処理車を後続車両として現場に向かわせることにした。
■自然が行く手を阻んだ
通報を受けて一刻も早く現場を目指す、佐藤警部と玉谷警部補の乗るパトカー。
※画像 2人が乗っていたパトカー
そして、ライフジャケットを届けるべく後続する車両。
しかしその間に、自然が立ちふさがった。
土砂崩れが発生し、後続車両が巻き込まれたのだ。
車両は動けなくなり、乗っていた警察官は自力で脱出。その後、新庄警察署に戻った。
ライフジャケットは、届かなかった。
佐藤警部と玉谷警部補のパトカーが水没することになる現場付近まで、1キロもなかったとみられている。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。