夏の高校野球山口大会は南陽工業(周南市)が公立高校としては9年ぶりに甲子園への切符をつかんだ。山口県の高校球界は、かつては公立校が隆盛を極めていた。その中でもひときわ輝きを放つのが、昭和60年の宇部商業だ。「史上最強」とも呼ばれたPL学園との決勝戦を当時の取材から振り返る。

夏の甲子園、100回を越える大会の歴史の中でも「最強チーム」の呼び声高いのが、昭和60年のPL学園だ。

桑田・清原。球史に残るスターは、春夏合わせて5回目、最後の甲子園。当然優勝候補筆頭に挙げられていた。

山口県代表は宇部商業。大会屈指の左腕、田上投手を中心に、前評判が高いチームだった。

準々決勝、準決勝は苦戦したがリリーフのマウンドに上がった古谷投手の好投と粘り強い打撃で大逆転劇で決勝に勝ち進んだ。「ミラクル宇部商」の愛称は有名だ。

決勝はPL学園対宇部商業。「史上最強」に「ミラクル」が挑んだ夏を当時のニュースから振り返る。

1985年8月21日。

決勝を控えた甲子園球場は開門が予定より2時間早められた。

試合開始のサイレンが鳴るころ、テレビ山口の横溝洋一郎アナウンサーは、アルプス席で起きたハプニングをリポートしている。

横溝アナウンサー「決勝戦がまもなく始まろうとしていますが、応援団が到着していません。名神高速道路の渋滞、だそうですけども、早く応援団の勇ましい姿を見たいと思います。・・・今、サイレンが鳴りました」

山口県勢2度目の頂点を狙うアルプススタンドも落ち着かない。

【2回表】
0対0で迎えた宇部商の攻撃。マウンドにはPLのエース・桑田。打席にはこの大会、4本塁打を放ち、注目の打者となった4番・藤井。

藤井は四球を選ぶと二盗に成功。

この日はレフトに回ったエースの田上は二ゴロで藤井を三塁に進める。

続く6番、福島の大きな右フライで藤井が生還。宇部商が願ってもない先制の1点を挙げる。

宇部商1対0PL学園


【4回裏】
宇部商のマウンドには、背番号11をつけた古谷投手。準々決勝、準決勝と、大逆転劇を呼び込む好リリーフを見せ、決勝の先発をつかみ取った。

打席には、史上最強のスラッガーとの呼び声も高い、清原。

インコースのシュートを、振り抜くと、目の覚めるような打球は一直線にレフトラッキーゾーンへ。

ソロ本塁打で1対1、試合は振り出しへ。

宇部商1対1PL学園

【5回裏】
PLの攻撃は代打の今岡。初球を叩いてライト線に二塁打。

送りバントで一死三塁。

1番・内匠はしぶとくセンター前に運び、PL学園が逆転。

宇部商1対2PL学園

【6回表】
宇部商の攻撃。シーソーゲームは続く。

2番河村がショートへの内野安打で出塁。チャンスに4番・藤井は桑田が投じた外角の速球をフルスイング。

打球はセンターオーバーの三塁打。

河村を迎え入れ、粘りの宇部商が本領を発揮。

宇部商2対2PL学園

続く田上はセンターへの犠飛。宇部商が逆転。

「最強」を追い詰めつつある異様なムードに、アルプススタンドは大盛り上がり。


【6回裏】
そのムードを打ち消したのは、やはり清原。

打たれた瞬間、古谷はがっくり。うなだれて打球の方向すら見ない。
左中間の1番深いところに打ち込む、この日2本目、大会5本目の本塁打で、PL学園が再び同点に。

宇部商3対3PL学園

その後、古谷、桑田両投手が投げ合い。同点のまま試合は最終盤へ。

【9回裏】
PL学園の攻撃はすでに二死。

2番安本の打球は打ち取った当たりだが内野と外野の間にポトリと落ちて二死一塁。

二盗が成功して二死二塁。

一打サヨナラのチャンスにPLの打席には3番、主将の松山。

初球を叩くと、打球は前進していたセンターの左を抜け、右中間を転がる。

安本が生還し、PL学園がサヨナラ勝ち。

宇部商3対4PL学園

敗れた宇部商業。「最強」を追い詰めた戦いぶりにアルプスからは健闘をたたえる声が聞かれた。

応援の女子生徒は「よく頑張ってくれました」と涙をこらえながら話した。

「ここまでよくやってくれた」。応援団の男子生徒は、PL学園の校歌が流れる中、絞り出すように答えた。


宇部商 桂主将「みんな最後まで本当によくやってくれた。監督さんにもここまでやってもらって本当にうれしい。人生にこれ以上の夏はない。」

宇部商 古谷投手「相手が王者だったし、できるだけの力は出そうと思って投げた。PLの打者は怖かった。(清原選手に打たれたのは)僕の失投。自分では満足。悔いが無いといえばおかしいけど・・・無いです。」

宇部商 藤井選手「ホームランを打てたので満足です。(決勝は)もうちょっとで勝てた。惜しかった。PLは強いですね。」

宇部商 田上投手「(先発のマウンドに上がれなかったのは)勝負の世界なのでしょうがない。(決勝での打点1は)一生忘れないと思う。3年間は苦しいことも多かったけど、最高でした。(勝負が決まった瞬間はどんなことを思った?)・・・投げたかったです。」


大会後、山口県に帰ってきた宇部商ナインを県民は熱烈に迎えた。県庁前の式典には3000人もの県民が詰めかけたという。

山口県民を熱狂させた昭和60年の宇部商業。おととし、下関国際が決勝進出の快挙を果たしたが、全国制覇は果たせなかった。

県勢の夏の甲子園優勝は1958年、昭和33年の柳井高校以来、65年遠ざかっている。

南陽工業は甲子園でどんな戦いを見せてくれるのだろうか。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。