シリーズ「復興の現在地」。今回は福島県富岡町から避難した先の喜多方市で、ブルーベリーの栽培を続ける農家に注目します。「またいつもの夏がやってきた」。ブルーベリーとともに歩む妻と夫の物語です。
特製のブルーベリーソースをたっぷりとかけたソフトクリーム。2017年から売り出され、喜多方市で人気になっている「ベリーズソフトクリーム」の看板商品です。
郡山市から来た客「バランスはすごくいいですよね。他にないという味がいいと思います」
遠藤綾子さん「東京の方はもちろん、埼玉の方もいますし、新潟・山形のバイカーの方もいらっしゃってますね」
こう話すのは、店長の遠藤綾子さん。13年前に起きた原発事故で、富岡町から喜多方市に家族で避難しました。
遠藤さん「一時的な避難だけで、戻れるだろうとみんな多分思っていたんです。だけど爆発したときに、絶望ですよね。ああ、もう戻れないんだって」
夫婦で作り上げた農園は原発事故で一変
およそ30年前、神奈川県から夫・正彦さんのふるさと富岡町に移住し、夫婦でブルーベリー農園を営んでいました。
遠藤さん「新婚旅行でオーストラリアに行って、アイスクリームにベリーソースがかかっていたのを食べたのが発端ですね。主人がおいしいおいしいと言って、ブルーベリーを育てたいと、帰ってきてからずっと言っていたんですね」
夫婦で作り上げた農園は、夏になると県の内外から多くの人が訪れ、賑わったといいます。しかし、原発事故で生活は一変しました。
夫・正彦さん「イノシシ除けをやっておかないと大変なことになってしまうので、このフェンスは外せません。震災前はそんなことなかったんですけど」
夫の正彦さんは、喜多方市と富岡町を行き来しながら、富岡町の農園を管理しています。
夫・正彦さん「このあたりはもう全部、根っこの周りを掘られたり折られたりして、木が悲惨な状態になっていましたね」
原発事故後、町から人が消えると農園はイノシシに荒らされ、栽培していたブルーベリーの半分が枯れてしまったといいます。もう町には戻れない…先行きの見えない不安を抱える中、遠藤さんに転機が訪れました。
「うちの畑貸してあげるから」家族みたいな苗木とともに
遠藤さん「(義父が)富岡から来たんだって、ブルーベリー作ってたんだって言ったら、喜多方で『うちの畑貸してあげるから、また作りなよ』っておっしゃってくれた方がいたので」
多くの仲間の農家から支援を受け、2013年に、喜多方市でブルーベリーの栽培を再開しました。
遠藤さん「ここの第2農園はほとんど、福島県内にいる農家さんからいただいた木でやっております」
農園ではいま、およそ400本のブルーベリーを栽培しています。
遠藤さん「一時期途切れたんですけど、またいつもの夏がやってきたことは、心の安定にもなりますよね。『ブルーベリーの夏が来た、やらなきゃ』と、なんというか落ち込んでいられない」
そして、農園にはふるさとの思い出も…。
遠藤さん「これが富岡から持ってきた木です」
ひときわ大きな木は、富岡町の農園から運び、植え替えたものでした。
遠藤さん「私たちのブルーベリー生活と共に歩んできた苗木なので、家族みたいなものなので、行ってこいって感じですね。みんなのお腹を満たしてきなさいって感じですね」
思い出の味のソフトクリームを…
ブルーベリーとともに、再び歩み出した遠藤さん。そのおいしさを伝えようと、2017年には思い出の味でもあるブルーベリーソースを売りにしたソフトクリーム店をオープンさせました。
喜多方市から来た人「味が最後の方になって飽きるアイスクリームが多いんですけど、これの場合全然。ソースもかかって、とてもおいしくいただいています」
遠藤さん「常連さんが来てしゃべって、帰って行く、何人も何人もたくさんの方がいらっしゃって、それがうれしいですね」
思い出のブルーベリーと歩む遠藤さんたち。これからも前を向き、一歩ずつ進んでいきたいと話します。
遠藤さん「えんどう農園が、一歩ずつ、一歩ずつ前に進んでいけば、色々な方がついて来てくれるのかなと思います。私たちのやっていることが、皆さんの後押しになっていければいいかなと思います」
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