テレホンクラブ(通称:テレクラ)は、1980年代から1990年代にかけて流行した電話による「出会いの場」でした。一時期の繁華街では「テレクラ」の派手なネオンが輝き、妖しく男女を誘っていました。いったい「テレクラ」とはどのようなものだったのでしょうか。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
個室で待つ男たち
テレクラは、1985年、新宿歌舞伎町に出現したと言われています(理由は後ほど)。
当時はインターネットや携帯電話などまだなく、見知らぬ人との出会いの手段は限られていました。そこに現れたのが、電話を媒介とした匿名の「出会い系」テレクラだったのです。
テレクラのシステムはこうです。
繁華街のテレクラ店舗に入るのは、基本、男だけ。
出会いを求める男性たちは、テレクラの狭い個室に入り、ひたすら電話を待ち続けます。
一方、女の側はどうか。女性たちはマンガ雑誌の広告などに載せられた電話番号をみて電話をかけるわけです。家からでも公衆電話からでもOK。フリーダイヤルです。電話をかけて、男性がその電話をとったら、そこで出会いが成立です。
「楽しい会話」が続いて、その後、本当に会うかどうかは本人たち次第というわけです。
「早取り男」が勝者になる
男性側は1時間800円から3000円程度のおカネを払います。金額は店に応じて様々でした。高い店は女性用の広告をたくさんの雑誌に撒くので、電話がかかる数が多い、というのが触れ込みでした。
女性は広告を見て電話をかけるだけ。一方、店で電話を待つ男性にとっては「早い者勝ち」です。音より先にランプが光る、その瞬間にとるのが、早取りのコツでした。
なかには、かかった瞬間に電話がつながるような機械を使う人まで現れたといいます。
またかけてくる女性が「サクラ」ということも多々あり、テレクラ嬢なる職業まであらわれたのです。その場合、男性にとっては単なる「時間の無駄」でした。
テレクラに潜む闇
テレクラは雑誌などに盛んに取り上げられるようになり、その存在が広く知られるようになりました。
また、映画やドラマでもテレクラが題材にされることもあったのです。また駅前で渡されたティッシュにテレクラの番号が書いてあるなんていうのも当たり前の光景でした。
しかし、90年代に入る頃になると、この出会いの形態が売春の温床になると言われ始めました。
中でも女子中高生が興味本位で電話をかけ、その後、売春や家出などにつながっていく、などの事件が頻発し、社会問題となりました。
テレクラがお気軽なのは、匿名性あってのこと。しかし、犯罪者にとってはその匿名性が都合のいい隠れ蓑となったのです。
テレクラはやがて売春だけでなく、詐欺など犯罪の温床になっていきました。
警察の摘発と、その後の進化
警察は夏休みなどに大がかりな摘発に乗り出しました。
しかし、抜本的な対策より先に、技術の進歩が次へ次へと走り出したのです。
ダイヤルQ2・ツーショットダイヤルなど、店舗型ではないテレホンサービスがスタートし、続いて90年代後半になると、インターネットとケータイが爆発的に普及し始めました。
今や、スマホのマッチングアプリやSNSが、男女の出会いの場として主流となっているのはご存じの通りです。
なお、テレクラの発祥が1985年と特定されているのは、この年、風俗営業法が厳格化されたからです(新風営法の施行)。
のぞき部屋やノーパン喫茶など過激な業態に規制が入る中、新たな商売を求めた業者の試行錯誤のひとつがこのテレクラだったと言われています。
現在のマッチングアプリの元祖(?)ができるキッカケが85年の新風営法というのも何だか奇妙な歴史を感じます。
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