バブル期の1991年「第一次証券スキャンダル」が起きる。東京地検特捜部は当時、野村証券から「稲川会」への融資について、実は田淵節也元会長から事情聴取していた。
しかし、関係者によると事情聴取は準備不足のまま行われていたという。同社の事情を詳しく知る田淵元会長の事情聴取は本来、事前に捜査を尽くした上で臨むべきだったが、いったい何が起きていたのか。当時の関係者の証言から知られざる捜査の内幕を描く。
「稲川会」との関係
「ブツ読み」捜査が引き寄せたのは、野村証券から「総会屋」小池隆一への「現金3億2,000万円」の提供という事実だった。
その見返りは「1995年6月の株主総会の円滑な議事進行」に協力してもらうことである。酒巻社長(当時)にとってこの株主総会は、実現すべき「重要な議案」があった。これを紐解くには時計の針を戻す必要がある。
当時のTBSニュースなどによると、酒巻社長は1958年に法政大学を卒業後、野村証券に入社、債券部門の部長などを経て、バブル期の1988年、副社長に就任した。副社長として「二人の田淵」の全盛時代を支えた。「二人の田淵」とは、姻戚関係はないが同じ姓の大物、田淵節也元会長、田淵義久元社長だ。それぞれ「大タブチ」「小タブチ」と呼ばれた大功労者である。
その両田淵が退任に追い込まれたのが1991年の「第一次証券スキャンダル」だった。
当時、広域指定暴力団「稲川会」の石井進前会長は、株価をつり上げるために「東急電鉄株」を買い占めていた。あろうことか野村証券と日興証券が、その購入資金を系列ノンバンクを通じて石井前会長に融資していたのである。野村の系列ノンバンクからの融資は「約160億円」に上った。
さらに同社は「東急電鉄株」を全国各支店の一斉推奨銘柄として販売、つまり業界最大手が暴力団の手掛けた「仕手戦」を後押したとして、世間の批判を浴びた。
「稲川会」の石井前会長は、バブル期は国内最大の暴力団「山口組」のナンバー2、宅見勝若頭とともに、「経済ヤクザ」と呼ばれていた。
1986年に稲川会2代目を襲名。山口組と一和会の抗争を調停したことはよく知られている。また「平和相互銀行」の問題では岸信介らの依頼で住友銀行側に付いて、同社による平和相銀の吸収合併を陰で支えた。
特捜部によると石井前会長はこの功績により、1989年、住友銀行側から「謝礼」として、茨城県のゴルフ場「岩間カントリークラブ」を譲り受けたとされる。
竹下総理誕生の際には、右翼団体「皇民党」の街宣活動による攻撃、いわゆる「褒め殺し」に苦慮していた竹下、金丸側が「東京佐川急便」の渡辺社長に相談。渡辺社長は、親しくしていた石井前会長に解決を依頼。相談を受けた石井前会長が仲介に動き、右翼の街宣活動を中止させた話は、今も語り継がれている。
これを契機に「東京佐川急便」は「岩間カントリークラブ」をはじめ、石井の関係企業などに対して、次々に事実上無担保の融資や、巨額の債務保証を続けるようになる。特捜部によるとその総額は約「1000億円」に上ったとされ、東京佐川急便の渡辺社長はこのうち「約400億円」の特別背任罪で起訴された(のちに有罪確定)。
田淵元会長「事情聴取」の内幕
元特捜検事はこう語る。
「特定の銘柄を推奨すること自体は、この当時、業界では普通にやっていたが、業界最大手の証券会社が、石井進という暴力団最高幹部に、系列のファイナンス会社を使って巨額のカネを融資し、組織をあげて暴力団の東急電鉄株の買い占めに協力していたという事実は驚愕だった」
これらの責任をとって1991年6月の株主総会で、会長の田淵節也、社長の田淵義久がそろって辞任する。その田淵節也は50代前半で社長となり、一時期は経常利益でトヨタ自動車を上回るなど、野村証券を「業界のガリバー」と呼ばれるまでに成長させた「証券業界のドン」また「清濁併せのむ」経営者としてバブル期の金融業界をけん引した。
また東急電鉄株に関しては、「野村証券の推奨で、東急電鉄株10万株を買って、多額の損失を被った」として横浜市の会社社長が田淵節也と田淵義久らを証券取引法違反(相場操縦)などで東京地検に告訴した。
実はこの刑事告訴を受け、東京地検特捜部がひそかに田淵節也を呼び出して、事情聴取をしていたことがわかった。事情聴取をしたのは東京地検特捜部のN副部長(22期)だった。N副部長は東急電鉄の株価操縦、稲川会との関係など数時間にわたって田淵から話を聴いたという。
しかし、田淵は関与を否認し、特捜部は最終的に「石井前会長の利益のために株価操作したとは認められない」として不起訴処分とした。
ただ、当時の関係者によると、この事情聴取のプロセスには、不透明さが残る捜査秘話があった。
本来、「第一証券スキャンダル」に絡む事件は株価操縦や稲川会に精通したもう一人の特捜部副部長の佐渡賢一(23期)が担当する事件だった。しかし、佐渡は当時「東京佐川急便事件」の捜査で忙しかったため、別の班のN副部長が担当になったのだ。
N副部長の暴走
そうした中で、ある日の午前中、未だ田淵元会長に関する基礎捜査もできていない段階で、N副部長が突然、特捜部長室に五十嵐部長を訪ねてこう言い出した。
「今日の午後、田淵を私が調べます」
いきなりの報告に、五十嵐特捜部長はこう答えた。
「今の段階で田淵から事情を聴いても追及材料もないし、何の成果も期待できない。やめてはどうか」
しかし、N副部長は「もう呼んでありますから、とにかく一度当たってみます」と言って部屋を出て行ったという。五十嵐部長は、直ぐに上司の北島敬介次席検事(13期、後に検事総長)の部屋に赴き、「次席検事からN副部長に対して当日の田淵の取調べを中止させてもらいたい」と訴えた。
北島次席検事は「今、田淵を取り調べても得るものはないだろうに、Nはいったい何を考えているんだ。」と言いつつ、「もう呼んであるというなら仕方ないだろう」と言って田淵の取調べを容認したため、五十嵐部長もN副部長の説得をあきらめた。
ちなみにN副部長と北島次席検事は検事任官の時期は9期も違うが、二人は都立上野高校の同期生だった。
N副部長は公務外では北島次席を『北島』と呼び捨てにしていたことは、庁内では多くの検事が耳にしていることであった。こんな二人の関係から、北島次席検事もN副部長に対して強い態度に出られなかったのであろう。
こうしてN副部長は、その日に田淵の事情聴取を強行した。そして、その結果を部下の検事に口授して報告書にまとめ、五十嵐部長に提出したが、予想通り、事情聴取による収穫は何もなかったのである。
これには後日談があり、N副部長が検察庁を退官して弁護士事務所を開いた際に、田淵節也からの開業祝の花が飾られていることを、事務所開きに行ったN副部長のかつての部下が確認している。つまり「N副部長の事情聴取は検事を辞めたあとの就職活動の一環だったのではなかったのか」と関係者は語る。
総会屋事件を担当した元特捜検事は悔しがる。
「あのときに政治家、官僚への利益提供や贈収賄という切り口で調べていれば、立件につながるいい筋があったかも知れない。なぜなら、総会屋事件で特捜部が押収した野村証券のいわゆるVIP口座リストには、そうした形跡があったからだ。1991年時点なら時効になっていなかった。告発を元に口座を徹底的に洗うべきだった」
闇の系譜
その野村証券と日興証券から巨額の融資を受けていた「稲川会」石井進前会長も、1991年9月3日午後6時6分、入院していた慶応義塾大学病院で脳梗塞のため亡くなった。67歳だった。
当時のTBSニュースによると仮通夜は翌9月4日夜、神奈川県横須賀市の自宅で営まれ、山口組5代目組長の渡辺芳則も弔問に訪れた。9月6日には、東京・大田区の池上本門寺で、本葬儀が行われ、1000人近くが参列した。
ちなみに石井進前会長が亡くなった半年後の1992年2月、東京地検特捜部は「東京佐川急便事件」から稲川会系企業への巨額の融資について東京・六本木の「稲川会本部」の家宅捜索を行った。このとき、石井進前会長はすでに死亡していたこともあり、多くの真相は闇に消えた。
もともと野村証券の揉め事を押さえていたのは石井進ではなかった。その役割は「野村の天皇」と呼ばれた瀬川美能留元会長と親交があった戦後最大の黒幕、右翼の政商と呼ばれた児玉誉士夫が担っていたのである。瀬川は児玉に毎年、顧問料を払っていたとされる。その経緯は、元毎日新聞記者の立石勝規氏の著書「児玉誉士夫のダイヤモンド」に詳細に記されている。
その児玉が1984年に亡くなったことから、稲川会2代目会長の石井進が、野村証券や日興証券の「守護神」として、かつての児玉の役割を果たすことになったのである。
田淵節也は国会の証人喚問で石井進前会長との接点について認めている。
「1986年秋、秘書担当取締役が、当時出入りしていた総会屋から稲川会石井進会長を紹介された。総会屋は、昔はずいぶん出入りしていたので・・・」
二人の田淵が後任に指名したのが当時、田淵義久社長直系とされた副社長の酒巻だった。6代目の田淵節也、7代目の田淵義久、続く8代目として酒巻に引き継がれることになった。株式畑や営業畑が主流とされる野村証券で、債券畑としては異例のトップ就任と言われた。
野村証券と同じく、日興証券も「稲川会」の石井進会長に系列ノンバンクから「200億円」を融資していたことが判明したが、責任を取って辞任した岩崎琢弥社長(当時)の吐いたセリフが印象的だった。
「宴の裏で悪魔が微笑んでいた。ここ数年、いい環境下で、社内に甘えという悪魔が住み着いた」
当時、野村証券と日興証券は、戦後最大の政界のフィクサーであった児玉誉士夫が亡くなったあと、裏社会に通じた児玉に代わる守護神として、「稲川会」石井進会長に接近していったとみられる。しかし、その石井会長へ融資した「360億円」という巨額の資金は、両社にとってあまりにも大きな「代償」となったのである。(敬称略)
(つづく)
TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光
■参考文献
村山 治「特捜検察vs金融権力」朝日新聞社、2007年
村山 治「小沢一郎VS特捜検察20年戦争」朝日新聞出版、2012年
立石勝規「東京国税局査察部」岩波新書、1999年
尾島正洋「総会屋とバブル」文藝春秋、2019年
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年
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