乳がんを患い、いまは自宅で療養している香川県高松市のピアニスト、高橋ゆり子さん(50)。
高橋さんは、2020年3月からシャンソン歌手の蓮井Micaさん(51)と2人で「シャンソン20区」というユニットを組み、活動しています。
高橋さんに乳がんが発覚したのは、2021年秋。
高橋さんは、ピアノを弾くための神経を温存する手術を望み、手術の後も、2人でシャンソンを続けてきました。
去年(2023年)7月、「岡山パリ祭」出演権をかけたオーディションに2人で出場し、みごと優勝。
その後、骨転移が発覚しますが、高橋さんはつかみとったステージを最優先したいという思いから、抗がん剤は本番が終わるまでしないと決めました。
まったく迷いはなかったといいます。
2人は、10月に岡山市で開かれた「岡山パリ祭」のステージで、人生の厳しさを描くエディット・ピアフの名曲「パダン・パダン」を、ドラマチックな演奏と歌唱で表現し、観客を魅了しました。
そして、今年の「岡山パリ祭」。
7月14日、ステージに蓮井さんの姿がありました。
去年は2人で立ったステージに、今年、高橋さんの姿はありません。
高橋さんは、いま、積極的な治療をせず自宅で療養しています。
薬の影響で、眠る時間が増え、眠っているときにはまるでピアノを弾いているように指が動くこともあるといいます。
会場を訪れることができない高橋さんの代わりに、蓮井さんは高橋さんのケア帽子とネックレスを身に着けてステージに上がりました。
蓮井さんが、国内第一線で活躍するシャンソン歌手らと声高らかに歌ったのは「民衆の歌」。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌です。
フランス七月王政を倒すために立ち上がったパリ市民が政府軍と衝突する場面で歌われるもので、その後、現実の社会運動でもたびたび歌われています。
曲には、苦境から這い上がる力強さ、運命に屈しない決意があり、病床の高橋さんへ届けようという蓮井さんの思いが込められていました。
「届くように歌って」何度も繰り返した高橋さんの声が心に響く
去年の「岡山パリ祭」に向けて2人が練習していた頃、高橋さんは繰り返し、蓮井さんに「届くように歌って」と声をかけたといいます。
そして、その言葉が、「岡山パリ祭」で歌う蓮井さんの心に常に響いていたといいます。
7月11日夜、病床の高橋さんと蓮井さんにzoomで話を聞くことができました。
この日は、胸水を抜く処置があり体調がすぐれなかったものの、夜になって回復したことから、蓮井さんが急遽、筆者とzoomでつないでくれたのです。
ー高橋さんの「届くように歌って」という言葉を、蓮井さんはどのように受け止めましたか。
(蓮井Micaさん)
「そう言ってもらったときに、そうだ、届くように歌うんだって。当たり前のことをぐさっと刺してもらった気がして。そこから歌人生が変わったなっていう。
表現者として、そういうことはいつも念頭にやってきたんですけど、ゆり(高橋さん)から言われたときに、神様からの言葉のような、脳がぱかっと開いて、『あっ、そうか』っていう。それは他の人に言われても響かなかった言葉だなって思っています」
ー高橋さんは、歌手として進化していく蓮井さんをどう見ていましたか?
(高橋ゆり子さん)
「(高橋さんは)前から私のことを褒めちぎってくれるので、私も内面にあるものがすごく引き出されたなと思います。一緒にやることによって。自分にこんな面があるんだっていうことを気づかされているのは、私のほうなんですけどね。それをどうにか音にしたり、形にしたりしたいなってずっと思いながらやってきました。
一番の変化は、より近く、私の内面に近寄ってきてくれたこと。言葉で『どうだよ、ああだよ』じゃなくて。それが、態度に変わった。
私に最後までとことん寄り添って、付き合うんだっていう、そういうものがすごく支えになっています。めちゃくちゃ支えです」
(蓮井Micaさん)
「…(言葉にならず涙があふれる)…もう、泣かずにおれるかよって(笑)」
(高橋ゆり子さん)
「今、私もすごく(涙を)堪えているのよ」
(蓮井Micaさん)
「えらい!(泣き笑い)」
(高橋ゆり子さん)
「まあ、こんな風に一歩一歩、二人三脚っぽく、地道にコツコツやってます。いま、ちょっと止まっちゃってますけどね」
(蓮井Micaさん)
「今、ゆりはピアノは弾けないけれども、弾けなくてもできることはあるんだっていうのが本当にありがたい。
(去年の「岡山パリ祭」オーディションの映像を)YouTubeに上げてもらったことでいろんな方に見てもらえたし、こうして取材を受けることで、まだできることはあるっていう」
(高橋ゆり子さん)
「ね」
(蓮井Micaさん)
「音楽ってすごい」
賛否の声を乗り越えて「人生を後悔という文字に置き換えない」
zoom取材のあと、蓮井さんからメールが届きました。
「あのあと、ピアノは弾けないけれど、まだこうしてやれ
そして、闘病中の高橋さんと蓮井さんのこれまでを伝える記事を7月12日に公開すると、「この記事を読んで、改めて生きることの意味を再考しています」と、あたたかい感謝の言葉とともにメールが届きました。
大切な想いを、筆者に託してくれた2人。
その想いを記事として公開することに、実は、ためらいがありました。
一番心配だったのは、高橋さんの選択に、賛否の声が上がると予想されたことです。
公開後、コメント欄にはいろんな意見が書き込まれ、高橋さんが胸を痛めているのではないかと心配でした。
7月14日、蓮井さんに「岡山パリ祭」で会ったときに様子をうかがうと、
「私も心配したんだけど、ゆりは大丈夫だって。なんとも思わないって」
と笑顔で答えてくれました。
悪意からではなく善意から「こうしたほうがよかったのでは」「こうすべきだったのでは」という意見があるのかもしれません。
筆者がzoom越しに会った高橋さんの笑顔は、これまでのどんな選択も、ゆるぎなく間違いではなかったことを物語っているようでした。
高橋さんと蓮井さんは、最近、こう考えているといいます。
「人生を『後悔』という文字に置き換えるのではなく、死ぬ瞬間までやりたいことがある、やりたいことがあるまま死ねるというのもいいんじゃない?」
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